ビルバオやバレンシアは巨大建築物を再生戦略の目玉の一つとし、観光都市、文化都市として町の再生を図った。両者の命運は分かれたが、いずれも欧州の経済危機以前の豊富な資金力、建設ブームを背景に実現した新築のプロジェクトである。今回は既存の建物を利用したマドリードの文化施設を取り上げたい。
具体的な数字を挙げることはできないが、既存の建物を再利用する建築プロジェクトの割合は、欧州では日本に比べ、かなり高いと思われる。特に欧州の多くの都市の中心部に位置する歴史地区では、まち並、景観を守るために新築を認めない場合が多く、必然的に改修プロジェクトが多くなっている。そして、新築のオフィスビル、集合住宅などは郊外に建てられている。マドリードのような大都市は、この過程が幾層にも重なり、中心地から外側に行くにつれ、建物の建設年代は新しくなる傾向にある。
マドリードの旧屠蓄場は、市南部レガスピ地区、マンサナーレス川のすぐ外側にある。ここはかつての郊外であり、中心部のプエルタ・デ・トレドにあった屠蓄場の代替として、1924年、市営の屠蓄場兼市場(Matadero y Mercado Municipal de Ganados de Madrid)が建設された。12ヘクタールの広大な敷地に、いくつもの建物が建てられ、18世紀末から19世紀初頭にかけてスペインにおいて特徴的なネオ・ムデハール様式の建物が並んだ。建設当初より、将来の拡張を考慮して空地を設けながら建設が進められ、1996年に屠蓄場としての機能を終えるまで、度々増築や建物の用途変更が行われた。例えば、1980年代初頭に幹線道路の建設に伴い、屠蓄場の機能を敷地南部に集約させた結果、敷地北部の建物は、アルガンスエラ区役所やスペイン国立バレエ団などが所有するようになった。そして、屠蓄場は1996年に閉鎖された後、2003年に文化施設への変更が決定される。
これは当時から進められていたマンサナーレス川沿いの再生事業の一環であった。その事業とは、川沿いに走っていた幹線道路の地下化を行い、市民のために緑地を設けることで住環境の向上を目指すものであった。この事業にともない、川沿いの既存施設にもメスが入れられることになり、マドリードの都市計画法のもと、屠蓄場の一連の施設の建築構造を保存しながら、施設全体の用途変更を行うことが決定されたのである。
こうして屠蓄場は、デザイン、演劇等に関する展覧会や公演などが行われる文化施設へと生まれ変わり、マタデーロ・マドリード(Matadero Madrid)の名で2007年にオープンした(*1)。施設は、3つの屠蓄場を利用したスペイン語による現代劇を行うスペイン語館(Naves del Español)、乾燥室、冷蔵室を利用した市民との交流の場、ワークショップスペースとしてのインテルメディアエ(Intermediae)、グラフィックデザイン、インダストリアルデザイン、インテリアデザインに関する展覧会、ワークショップが行われるデザインセンター(Central del Diseño)、図書室(Casa del Lector)、映画館(Cineteca)、音楽館(Nave de Música)などで構成される。
前回までに取り上げたビルバオやバレンシアの事例と大きく異なるのは、マタデーロ・マドリードでは既存の建物を再利用するという点である。このような事例は欧州では珍しくなく、いわば定着した手法であると言えるが、建設バブルがはじけたスペインでは、今一度見直されるべき手法であろう。可能な限り既存の建物を再利用し、新たな資材の投入を最低限に抑え、新旧のデザインの対比による魅力的な空間を生み出す。マタデーロ・マドリードには、様々な建築家が参加し改修プロジェクトを行っているが、次回はそのうちのいくつかをより具体的に紹介したい。
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10:鉄鋼の町から観光都市へ、ビルバオ・グッゲンハイム美術館
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