建築シリーズ10:鉄鋼の町から観光都市へ、ビルバオ・グッゲンハイム美術館

1975年、スペインを独裁的に治めてきたフランシスコ・フランコが病没すると、スペイン政治は民主化への道を進む。長らく内に閉ざしていたスペインはその後、1986年の欧州連合への加盟、1999年の統一通貨ユーロ導入などを通して、急激な経済成長を遂げた。その間、EUの経済的支援もあり、スペイン中の隅から隅まで数多くの公共建築が建設され、建設ブームはスペイン経済を力強く押し上げ続けた。

民主化後、バルセロナオリンピックを契機とした抜本的な都市改造を実施したバルセロナとともに、世界中の注目を集め一躍国際的な知名度を獲得したのが、バスク地方の都市ビルバオである。ビルバオは鉄鋼の町として栄えてきた港湾都市だが、産業構造の変化に伴い多くの鉄鋼プラントが閉鎖され、衰退の道を辿っていた。 民主化後にスペインが自治州に分割されると、カタルーニャ地方と同様に独自の言語、文化を持つバスク地方は、現地州政府が意欲的に都市改造に取り組み、「我が町」の再生を進めた。その中で、ビルバオ再生の顔となったのが、ニューヨークを拠点とするグッゲンハイム財団の美術館の誘致プロジェクトであった。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館 外観 photo by MykReeve

ビルバオ・グッゲンハイム美術館 外観 photo by MykReeve

ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、アメリカ人建築家フランク・ゲーリーが設計を担当し、1997年にオープンした。曲面のチタニウムの板が美術館全体を覆う独特の外観をしており、ビルバオの風景に大きなインパクトを与えている。その奇抜な形態と、グッゲンハイムのブランド力が相まり、当初の目標を大きく上回る年間約100万人の来館者を迎えている。この集客力のおかげで、バスク州政府は負担した建設費を3年間で回収したと言われる。一つの巨大建築の誕生により、町は活気を取り戻し、鉄鋼の町から世界でも有数の観光都市に生まれ変わったのである。これを「ビルバオ効果」、「グッゲンハイム効果」などと人々は呼び、“一つの建築によって町全体を再生”することの可能性が語られ始めた。

改善された水辺空間とサンティアゴ・カラトラバによるズビズリ(スビスリ)歩道橋 photo by Dovidena

改善された水辺空間とサンティアゴ・カラトラバによるズビズリ(スビスリ)歩道橋 photo by Dovidena

また、実際に美術館を訪れてみると分かるが、美術館周辺の環境もよく整備されており、かつては工業排水の流れるだけだったネルビオン川沿いが非常に魅力的な空間に生まれ変わっている。この水辺空間の再生に見られるように、環境問題も同時に解決することが当初より考えられていた。そこにはビルバオに限らずネルビオン川沿いの町を一体的に再生していくという自治州政府の戦略があった。そして、一国の一地方都市にこれだけの財政的支援を可能にしたEUの都市パイロット事業の存在なくしてビルバオの成功は語れない。つまり、国家という枠組みで首都を中心とした地域だけに投資をするのではなく、国家の枠を越えたEUという統合的な視点をもって初めて可能となった再生プロジェクトであると言えるだろう。

この様子を見た国内のあらゆる自治州、都市、そして小さな村までが競って「目玉建築」の建設にとりかかり、スペインの建設ブームに拍車をかけることになった。さてビルバオ効果は他の都市でも実現できたのか、それとも幻想に終わったのか。次回はバレンシアの巨大建築プロジェクトについて紹介したい。

・・・
<建築シリーズ記事一覧>

1:現代に完成した「未完の建築」、モンフェリの教会
2:過去と未来をつなぐ作品、アトーチャ駅
3:夢のガラスの宮殿、パラシオ・デ・クリスタルとベラスケス宮殿
4:復元された近代建築の名作、バルセロナ・パビリオン
5:日本の英知を集結した競技場、パラウ・サン・ジョルディ
6:オリンピック開催を待つ魔法の箱、カハ・マヒカ
7:アトレティコ新本拠地はオリンピックを迎えられるか、ラ・ペイネータ
8:「仮設の屋根」で闘牛場をオリンピック会場へ、ラス・ベンタス闘牛場
9:スペインを代表する土木技師トロハの最高傑作、サルスエラ競馬場

ページトップへ