建築シリーズ3:夢のガラスの宮殿、パラシオ・デ・クリスタルとベラスケス宮殿

前回紹介したアトーチャ駅に見られるように、19世紀後半は鉄とガラスが建築に積極的に用いられるようになった時代であった。その象徴的な建物の一つが、かつてロンドンのハイドパークに建っていたクリスタル・パレスである。クリスタル・パレスは1851年の第1回万国博覧会の会場として建設された、鉄骨とガラスの巨大な建築物である(万博後、クリスタル・パレスはロンドン近郊の別の場所に移築されたが、1936年に火事で焼失)。

ロンドンのクリスタル・パレス photo by Philip Henry Delamotte, Negretti and Zambra

ロンドンのクリスタル・パレス
photo by Philip Henry Delamotte, Negretti and Zambra

そのクリスタル・パレスに影響を受けてマドリードのレティーロ公園に建設されたのが、パラシオ・デ・クリスタル(クリスタル・パレスと同じくガラスの宮殿、の意)である。パラシオ・デ・クリスタルは、フィリピン諸島博覧会の会場として、1887年に建設された。本家クリスタル・パレスに比べれば小規模だが、その優雅な佇まいはいまだレティーロ公園を訪れる人々の注目を集める。建物正面の池と周囲の樹木の風景は、ガラスを通して建物内に存分に取り込まれ、中に居ながらにして、外に居るような不思議な感覚に落ち入る。それはフィリピンの熱帯植物を収容するという目的にかなった空間であり、先のアトーチャ駅の植物園のアイディアと重なる。

レティーロ公園のパラシオ・デ・クリスタル 外観

レティーロ公園のパラシオ・デ・クリスタル 外観

レティーロ公園のパラシオ・デ・クリスタル 内観

レティーロ公園のパラシオ・デ・クリスタル 内観

パラシオ・デ・クリスタルを設計したのは、スペイン人建築家リカルド・ベラスケス・ボスコ(1843 – 1923)であるが、実はベラスケスはパラシオ・デ・クリスタルを実現する前の、「習作」とも言うべき建築を設計、完成させている。現在、設計者の名にちなんで、ベラスケス宮殿と呼ばれるこの建物は、1883年の国内鉱業博覧会に合わせてレティーロ公園内に建設され、パラシオ・デ・クリスタルと100mほどの間を置いて現存している。このプロジェクトが、夢のガラスの宮殿実現のための第一段階だったのである。

ベラスケス宮殿 外観

ベラスケス宮殿 外観

外観は、従来の伝統的なスペインの建築物のようにレンガ造の建物に見えるが、中に入れば、鉄骨の柱、アーチによって屋根が支えられていることが分かる。そして、その鉄骨のアーチの間にはガラスがはめられ、外観からは想像できない明るい内部空間を実現している。ベラスケス宮殿は、国外の建築の潮流とスペインの伝統的な建築文化の混ざり合った、独特な魅力をたたえている。

ベラスケス宮殿 外観

ベラスケス宮殿 外観

この両方の建物は現在いずれも改修工事が済み、ソフィア王妃芸術センターの別館として、美術品を展示する場として再利用されている。

リカルド・ベラスケス・ボスコの代表作。

・ベラスケス宮殿/マドリード/1883年
・パラシオ・デ・クリスタル/マドリード/1887年
・マドリード鉱山技術者高等工学校/マドリード/1893年
・農業省庁舎/マドリード/1897年
・セビリャーノ公爵夫人のパンテオン/グアダラハラ/1916年

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<建築シリーズ記事>
1:現代に完成した「未完の建築」、モンフェリの教会
2:過去と未来をつなぐ作品、アトーチャ駅

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