前回紹介したビルバオ・グッゲンハイム美術館は、建築物が観光の目玉となり、町の再生の原動力となった例である。今回はほぼ同じ時期に計画・建設されたバレンシア芸術科学都市(Ciudad de las Artes y las Ciencias)を紹介したい。
1989年、当時のバレンシア州知事ジョアン・レルマの主導によりプロジェクトは始まった。1991年に議会が建設予定地の譲渡を決定すると、その4ヶ月後に地元出身の建築家サンティアゴ・カラトラバによる設計図が提出され、1994年に建設が開始された。芸術科学都市は複数の建築物で構成されているが、州政府の政権交代により度々計画が変更されている。1998年にまず建設面積13,000㎡の、IMAXシアターやプラネタリウムを収容するレミスフェリック(L’Hemisfèric)がオープンし、2000年にフェリペ王子科学博物館、2002年にヨーロッパ最大の水族館オセアノグラフィック(L’Oceanogràfic)、そして2005年にオペラハウスであるソフィア王妃芸術宮殿が相次いでオープンした。また現在、多目的施設アゴラ(El Ágora)が建設途中にある。なお、水族館のみマドリード出身の世界的メキシコ人建築家フェリックス・キャンデラの設計である。
カラトラバは建築家であると同時に、構造エンジニアでもあり、動物の骨や翼を思い起こさせるような独特なデザインが特徴である。彼の生み出すダイナミックな造形は厳密な構造計算に基づいており、鉄道駅やスタジアムなどの大空間、また橋などの土木構築物の設計において世界的に高い評価を得ている。しかし、彼の設計する建築物は莫大な建設費を必要とし、またその独特の形態が故に、建物の維持管理費が通常の建物より高くなるという問題がある。
現に、芸術科学都市の総工費は、未完成のアゴラを除いても1500億円と言われ、当初の200億円を大幅に上回っている。さらに、バレンシアにとって頭が痛いのが、ソフィア王妃芸術宮殿の外壁に完成後8年が経過して亀裂が入り始めていることである。今年に入ってこの件は大々的にメディアに取り上げられており、不良工事の責任を追求する記事、維持管理の困難な建物を設計したカラトラバ自身を追求する記事が連日のように新聞に掲載されている。また、建設途中の多目的施設アゴラが、経済危機以降、資金繰りが困難となり、建設現場に行き場を失った建設資材が放置されていることを厳しく批判するメディアもある。
カラトラバはこの芸術科学都市の設計料として約150億円を受け取っており、総工費の10%という割合は妥当ではあるものの、経済危機がスペイン社会を直撃している現状において、メディアや政党、市民グループの批判の対象となっている。バレンシアが、そしてスペインが世界に誇る建築家は、今や市民の目の敵であり、魔法のようなカラトラバの建築は、今やバレンシア市民にとって悪夢そのものである。
しかし、これをカラトラバ一人の責任とするのは酷であろう。建設費を極力抑えることや建設後の維持管理を考慮した建物にすることは、建築家の重要な役割であるものの、建物はクライアントがあって初めて建てることができるのであり、両者の話し合い、合意のもとで設計は進められたはずである。このプロジェクトを都市再生、観光客誘致の起爆剤とすべく、出来るだけユニークなもの、奇抜なものを求めた地元政府、それを承認した議会にも大きな責任があるだろう。
ビルバオ・グッゲンハイム美術館とバレンシア芸術科学都市は、近年のスペイン社会を映す一対の鏡であると言える。経済危機は市民に現実を直視させる結果となり、建築家は自身の役割を自問自答しているだろう。次回は、「危機の時代に現れる建築プロジェクト」に焦点を当てたい。
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4:復元された近代建築の名作、バルセロナ・パビリオン
5:日本の英知を集結した競技場、パラウ・サン・ジョルディ
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7:アトレティコ新本拠地はオリンピックを迎えられるか、ラ・ペイネータ
8:「仮設の屋根」で闘牛場をオリンピック会場へ、ラス・ベンタス闘牛場
9:スペインを代表する土木技師トロハの最高傑作、サルスエラ競馬場
10:鉄鋼の町から観光都市へ、ビルバオ・グッゲンハイム美術館