建築シリーズ9:スペインを代表する土木技師トロハの最高傑作、サルスエラ競馬場

前回の闘牛場に続き、今回も動物と関連のある競技施設の紹介である。「サルスエラ競馬場」では、2020年マドリード・オリンピックの馬術競技の開催を予定している。普段から競馬場として利用されているために、特に建物の改修などは予定されていないようだ。

サルスエラ競馬場(スペイン語では、イポドロモ・デ・ラ・サルスエラ)は、1934年にコンペを経て選出されたカルロス・アルニチェス・モルト、マルティン・ドミンゲスの両建築家と、土木技師のエドゥアルド・トロハのチームが設計を担当し、1941年にオープンした歴史ある競馬場である。以来、毎年競馬が開催されていたが、1996年、競馬場の経営収支が悪化してきたことから競馬場は閉鎖された。その後、政府は民間の運営団体の入札募集を2度実施し、不調に終わったが、2003年になり、国営の宝くじ賭博団体などが出資した株式会社サルスエラ競馬場が設立され、競馬場の運営にあたることになった。2005年10月、建物の補修を終えて9年ぶりに競馬場は再オープンした。

サルスエラ競馬場 外観 photo by Outisnn

サルスエラ競馬場 外観 photo by Outisnn

スペインにおける競馬の歴史は古く、サルスエラ競馬場のオープンよりも100年以上前に遡り、マドリード市北東部、現在のバラハス空港近くのアラメダ・デ・オスナで開催されたレースが最初であるとされる。当時は観客席もなく、貴族階級の人々が自身の所有する馬に乗って観戦に訪れたという。また、騎手も貴族や軍人などに限られていた。その後、王宮のバックヤードにあたるカサ・デ・カンポや、市北部のカステリャーナなどに競馬場が設けられたが、いずれも現存しない。特に、カステリャーナの競馬場跡には官公庁の建物が建設された。また、王室の御用地であるマドリード南方約50kmにある町アランフエスでも、スペイン内戦直前までレースが行われていたようである。スペイン競馬界でもっとも由緒あるレース、グラン・プレミオ・デ・マドリードは、1919年より実施されており、1941年以降はサルスエラ競馬場で開催されている。

レースの様子、背後にマドリードの高層ビルが見える photo by Jlastras

レースの様子、背後にマドリードの高層ビルが見える
photo by Jlastras

サルスエラ競馬場の観覧席は、2009年に文化遺産に登録されるなど、20世紀のマドリード建築の傑作の一つに数えられている。建設当時の建築界の潮流であった「有機的」な形態を、土木技師エドゥアルド・トロハによる独創的な建築構造の提案によって見事に実現している。先端部ではわずか5cm厚しかない鉄筋コンクリートによる双曲面を形成する屋根が特徴であり、5m間隔で設けられた梁と柱によって支えられている。屋根はそれを支える柱からおよそ13mも張り出しており、非常に軽やかな印象を与えている。また、観客席の架構方法はその下のギャラリーと場内の出入りを考慮したものであり、上部の屋根を支える柱がそのまま観客席を支えているなど、トロハの構造設計の技量は世界的に見ても非常に高く、現在でも国内外の専門家の研究対象になるほどである。

サルスエラ競馬場 外観 photo by Outisnn

サルスエラ競馬場 外観 photo by Outisnn

今回で2020年のマドリード・オリンピックで使用が予定されている競技施設の紹介を終わりとしたい。来月7日の開催地決定まで2週間を切り、スペインの招致委員会も既に会場となるブエノス・アイレスに到着しているようである。当初のイスタンブール優勢の状況から、東京が一番手と見られるようになり、さらに最近の報道ではスペインの巻き返しをまことしやかに伝えるメディアもある。いずれの都市で開催されるにせよ、オリンピック競技が行われる会場にも関心を持っていただく機会となったならば幸いである。次回より、スペインの文化施設に着目して紹介していきたい。

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<建築シリーズ記事>
1:現代に完成した「未完の建築」、モンフェリの教会
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4:復元された近代建築の名作、バルセロナ・パビリオン
5:日本の英知を集結した競技場、パラウ・サン・ジョルディ
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7:アトレティコ新本拠地はオリンピックを迎えられるか、ラ・ペイネータ
8:「仮設の屋根」で闘牛場をオリンピック会場へ、ラス・ベンタス闘牛場

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