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レアル・マドリード期待の若手はミュージシャン

レアル・マドリードのヘセの復帰が間近だ。 20世紀最高のクラブを将来を担うカンテラ育ちの逸材として期待され、昨シーズンはトップチームに定着し、途中出場や数少ないながらも先発で起用されるなど順調に結果を残してきた。カンプ・ノウで行われたクラシコでもロスタイムに得点を決めている。順調な歩みを見せる彼を同クラブのレジェンドであるラウール・ゴンザレスと重ねる人も多かった。スペイン代表入りを推す声もあった。 レアル・マドリードのヘセの復帰が間近だ。 20世紀最高のクラブを将来を担うカンテラ育ちの逸材として期待され、昨シーズンはトップチームに定着し、途中出場や数少ないながらも先発で起用されるなど順調に結果を残してきた。カンプ・ノウで行われたクラシコでもロスタイムに得点を決めている。順調な歩みを見せる彼を同クラブのレジェンドであるラウール・ゴンザレスと重ねる人も多かった。スペイン代表入りを推す声もあった。

メッシが記録達成時にカンプ・ノウでブーイング

リーガ・エスパニョーラ12節セビージャ戦でバルセロナのメッシがハットトリックを達成した。メッシは元アスレティック・ビルバオのテルモ・サラのリーガ歴代最多得点記録251得点を更新した。メッシはセビージャ戦のハットトリックで通算ゴールを253に伸ばし、歴代単独トップとなった。   セビージャ戦後にカンプ・ノウではメッシの記録更新を称えるビデオが流された。その時だ。ビデオにバルトメウ会長とフットボールディレクターのスビサレッタが登場。すると観衆からブーイングが起きた。 クラブの重要なポストに就く2人にバルセロニスタは不満を抱えている。では、実際にバルセロナのソシオ、ファンはどんな動機があって、彼らにブーイングをしたのだろうか? バルトメウについては、“会長選を行わない”ことに不満を抱えている。ソシオは、バルトメウではなく、今は会長を辞任したサンドロ・ロセイに投票した。副会長だったバルトメウがそのまま空いた席に座ったわけだが、彼が会長になってから、会長選は行われていない。ソシオはもう一度投票で会長を選択すべきだと思っている。 また仕事の仕方にも不満がある。ネイマールの移籍交渉など裁判沙汰になることが多く、クラブ運営、そしてイメージに悪影響を与えていると多くの人は考えている。 チームの補強、人事を担当するスビサレッタに対してブーイングが起きたことについては、説明の必要はないだろう。動機は明確だ。彼は移籍市場で全く効果的な補強をできなかった。チアゴ・シウバ、ダビド・ルイスといったディフェンダーを補強できず、連れて来たのは、ベテランで高額のマテューと今シーズン負傷のためいまだに試合に出れていないヴェルマーレンだ。ブラジル人サイドバック、ドグラスも補強したが、1試合に出場しただけだ。ルイス・スアレス、ラキティッチは及第点のプレーをしているが、高額の移籍金を考えると至極当然だろう。スビサレッタを「バルセロナに来てから1度もまともな仕事をしたことがない」と辛辣な評価をするクレもいる。 メッシの記録更新を祝う場で、サポーターがここぞとばかりに現クラブの体制に不満を示した。まさに今のバルセロナを象徴するようなシーンだった。

数字にも示されたスペイン代表の散々な2014年

11月18日のドイツとの親善試合で今年の活動日程を終えたスペイン代表。今年は2008年欧州選手権優勝から始まった黄金期がはっきりと終わったことが分かった年となった。前回王者として挑んだワールドカップでのグループリーグ敗退はその象徴的な例だが、2014年がスペイン代表にとって、厳しい年だったことは他のデータにも表れている。 今年最後となった親善試合ではドイツにホームで、0-1で敗れた。スペイン代表にとっては2006年以来、ホームでの敗戦は8年ぶりとなった。デル・ボスケ監督にとっては今年5つ目の黒星だ。スペインはワールドカップ・オランダ戦(1-5)、チリ戦(0-2)、親善試合のフランス戦(0-1)、ユーロ2016予選スロバキア戦(1-2)、そしてドイツ戦と1年で5敗を喫した。スペインが1年の間に5敗を喫したのは1991年以来となる。当時のスペイン代表は12試合7勝5敗22得点12失点を記録していた。2014年スペインが勝利した唯一の強豪国はイタリアだけだった。 悪い結果はランキングも下げた。FIFAランキングでスペインは33ヵ月間トップだったが、ワールドカップ後にランキングは下がっており、ドイツに負けた後の今では、トップ10の位置も危うい状況となっている。 また86試合連続でスペインは常にボールポゼッションをライバルチームよりも上回っていたが、ドイツ戦でついに相手に上回れてしまった。 この1年でスペインは世界王者のタイトルだけでなく、いろんなものを失ってしまった。

バルセロナの選手、元選手、元会長も投票へ

「カタルーニャ州の独立」を問う非公式の住民投票が9日にカタルーニャ州で実施された。現在バイエルン・ミュンヘンを率いる元バルセロナの監督グアルディオラが投票に訪れるなど、現地メディアは大きく取り上げている。また、グアルディオラのルイス・エンリケを支持するコメントや、彼が道でピケと話し合う姿などがニュースとなった。 バルセロナの選手も住民投票に足を運んでいる。シャビ・エルナンデス、セルジ・ロベルト、バルトメウ会長やプジョルの姿も写真に収められている。また、元バルセロナ会長のジョアン・ラポルタ、サンドロ・ロセイの姿もあった。 住民投票にはカタルーニャ州旗をあしらったバルセロナの昨シーズンのセカンドユニフォームで投票場に訪れる人も多くいたようだ。もちろん、独立を望んでいる人もいれば、望んでいない人もいる。インターネット上ではスペイン国旗やスペイン代表、レアル・マドリードのユニフォームをまとって投票場にやって来た人の写真も掲載されていた。中には、独裁者フランコ政権時代の警官のコスチュームで現れる人もいたようだ。 もしカタルーニャ州が独立すれば、今のスペイン代表からは23名のうち、ピケ、ジョルディ・アルバ、ブスケツ、セスク、カシージャの5人が抜けることになる。 住民投票の投票率は200万人強の35,9パーセントだった。その投票のうち賛成が80,76パーセントだ。しかし、反対の人はもともと非公式の投票に足を運んでいないだろうという声も聞く。果たして、ここまで高まっている独立への訴えはどんな結末を迎えるのだろうか。

中世の古城で繰り広げられる騎士の戦い

スペインには1500以上の古城が今も残されているが、これらの城を舞台にしたスポーツ、「Combate medieval(中世の合戦)*」がここ数年注目を集め始めている。 東欧で誕生したと言われるこの競技は、中世の騎士さながらの甲冑をつけて、剣、盾などを武器に「フルコンタクト」(手など身体の力で直接ぶつかり合う)で対戦するというもの。3対3、5対5、16対16、「Kill the King」など様式は様々。武器は切れないように加工されている。とはいえ武器も甲冑も本物を忠実に再現されており、重さも合計30kg近くと本格的だ。 今年9月27日には、カスティージャ・イ・ラマンチャ地方のクエンカ県ベルモンテ市で、15世紀建立のベルモンテ城を舞台に「Liga nacional de combate medieval (中世の合戦国内リーグ)」が開幕。マドリード、カスティージャ・ラ・マンチャ、カスティージャ・イ・レオン、アラゴン、カタルーニャ、アンダルシア、エクストレマドゥーラ、バレンシア、バレアレスの9自治州のチームが2ヶ月半にわたって戦いを繰り広げている。 ベルモンテでは今年5月に世界選手権も開催され、日本も含め19カ国から500人が参加。ベルモンテ城は兵営地と化し、中世の生活・文化が再現された市場や、当時の料理を再現したメニューが提供されるなど、およそ1万人の見物客を歓迎した。 中世の美しい古城をバックに繰り広げられる騎士の戦いは、スポーツ、格闘技ファンだけでなく、歴史、グルメ、建築、芸術、旅行の愛好家たちも楽しませてくれることだろう。 ■世界選手権のプロモーション動画 IT Foto Video ■中世の合戦国内リーグの公式サイト(英語・スペイン語) Liga nacional de combate medieval ■今後の一部リーグ合戦日程 2014年11月15-16日 2014年12月13-14日 *「Combate medieval(中世の合戦)」は、日本では「アーマードバトル」として紹介されている。

クリスティアーノ・ロナウドは偉人

今シーズン、驚異的なペースでゴールを量産しているストライカーがいる。リーガ開幕10節終了時点で17得点を決めた、レアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドだ。10節終了時点で17ゴールを決めた選手は、リーガ・エスパニョーラの歴史の中で、このポルトガル人だけだ。 これまで開幕10節で最もゴールを奪っていた選手は、1935-1936シーズンにオビエドに所属していたイシドロ・ランガラだ。彼は10試合で16得点を決めていた。イシドロ・ランガラは30年代のスペインを代表するストライカーで、1933-1934シーズンから3季連続で得点王に輝いている。1部リーグでは5シーズンプレーし、90試合で104得点を記録している。1試合平均1,15得点を決めている。1部の得点率に関してはロナウドを上回っている。ロナウドは174試合194得点で、現在は1試合に1,11得点だ。 ロナウドはこのイシドロ・ランガラの開幕10節の最多得点記録を79年ぶりに塗り替えた。イシドロ・ランガラは開幕10試合全てにプレーして、1試合だけ無得点の試合があった。一方のロナウドは開幕10試合のうち、レアル・ソシエダ戦は負傷のため欠場。実質9試合で17得点を叩きだしている。今シーズンだけを見れば、1試合1,8得点という得点率だ。 スペインのメディアは、「クリスティアーノ・ロナウドはサッカー界の偉人の仲間入りを果たした」と称賛する。曰く、サッカー界にペレ、クライフ、マラドーナと3人の神様がいたが、メッシが4人目で、ロナウドが5人目ということだ。かつての神たちは1度も同時代に争ったことはない。しかし、今はロナウドとメッシという2人の神話にとなった選手が同じリーグで争っている。2人はいつも記録を打ち破っている。後世のフットボールファンに嫉妬されるであろうそんな奇跡の時代を、今僕らは目にしているのかもしれない。

カタルーニャ独立主義者であることを表明した元年代別スペイン代表

バルセロナのカンテラ出身のマルク・クロサスという選手がいる。2006-2007シーズンにバルセロナのトップチームでデビューしたが定着はできず…。スコットランドのセルティックに移籍し、その後はロシアに渡り、2012年からメキシコのサントス・ラグナでプレーしている。そんな彼は「スペインのためにプレーするよりも、メキシコのためにプレーしたい」と地元紙『マルカ』のインタビューで明言した。 カタルーニャ州にあるジローナ出身の26歳のマルク・クロサスは言う。 「僕はU-17、U-19、そしてU-21のスペイン代表でプレーし、この時は自分が国家の優秀な選手たちといることが誇りだった。今は、自分の息子はメキシコ人で、自分の根源がスペインよりもメキシコだと感じている。カタルーニャのことを話せば、メキシコと同じくらい、カタルーニャを身近に感じるだろう。今日において『自分はカタルーニャ人だ』と言うけれど、スペイン代表でプレーするよりメキシコ代表でプレーする方を好むよ」 また、マルク・クロサスは自身がカタルーニャ州独立主義者であることを明言した。 「僕の“お隣の国(スペイン)”は大きな国だ。小さい頃からこの感情を持っていた。僕の母国語はカタルーニャ語だったし、いつも自分はカタルーニャ人だと感じていた。僕のパスポートと身分証明書は自分がスペイン人だと言うけど、自分の中にある感情は別だ」 ただ、彼はスペイン代表に何も悪い感情は持っていない。スペイン代表がワールドカップで勝利した時はとても幸せだったと語っている。 「僕の代表(つまり、カタルーニャ代表のこと)がプレーできなければ、スペインが勝って欲しい。僕のことを代表はしていないが、僕の友だちが多くいるから勝って欲しい」   マルク・クロサスはマドリード出身者とカタルーニャ出身者の違いをインタビューでこう語っている。 「スペイン政府は僕らが求め、訴えていることに耳を傾けていない。彼らがもっと聞いていれば、この問題(独立)はなかっただろう。カタルーニャ人は仕事だけを考えて、平日は街にくり出さない。そして週末はできるだけお金を使わないようにする。マドリードは中心街は週のいつでも多くの人であふれている。これがカタルーニャのメンタリティーだ」

バレンシアの左サイドバックが高品質の選手を生産中

ユーロ2016予選・ルクセンブルク戦でバイエルン・ミュンヘンに所属するベルナットが代表デビュー。彼は初めてA代表のシャツを着ただけでなく、ゴールも決めている。ベルナットは今年の夏にバレンシアを退団し、ドイツに職場を移した。そしてバイエルン・ミュンヘンでもすぐに適応。試合に出場し、活躍しているからこそ、今回はデル・ボスケにフル代表に召集された。 ベルナットを失ったバレンシアだが、チームは昨シーズンから全く新しい姿に生まれ変わり、チームは開幕から快進撃を続けている。ベルナットがいた左サイドバックのポジションはガヤだ。1995年生まれの19歳のレフティー。その正確なクロスですっかりレギュラーに定着している。ヌーノ・エスピリト・サント監督の信頼も厚い。 バレンシアは優秀なスペイン人左サイドバックを近年生産し続けている。フル代表で左サイドバックを務めるジョルディ・アルバはバレンシアのカンテラ育ち。バレンシアで活躍し、子供の時に下部組織に所属し、生まれ故郷のバルセロナに買われた。 ジョルディ・アルバが2012年夏にバルセロナに移籍すると、チームはフランス代表のシソコやメキシコ代表のグアルダードを獲得したが、チームが期待するようなパフォーマンスを披露できず、そのポジションをベルナットが手にした。ベルナットはバレンシアで定位置をつかみ、そして2014年夏にドイツに買われた。 ベルナットの穴を誰が埋めるのか。新体制になったバレンシアは25歳のアルゼンチン人オルバンを獲得したが、今のところ出番はない。なぜならガヤがクオリティーの高いプレーでチームの勝利に貢献しているからだ。 ガヤにはすでにレアル・マドリードやバルセロナが興味を示し、バレンシアは2018年まで契約を延長するなど簡単にビッククラブの手に渡らないように備えている。 バレンシアはクラブの方針として、左サイドバックをカンテラで補おうとしているわけではない。それはジョルディ・アルバが、もしくはベルナットがいなくなった後に外国人選手をとり、その穴を埋めようとしていることでわかる。だが、不思議なことに結果的にカンテラ出身のスペイン人選手がそのポジションに定着している。

波乱万丈の元スペイン代表が43歳にして現役復帰を決心した動機

43歳の元スペイン代表がフットボールをもう1度プレーすることを決めた。彼はU.D.シエロというアストゥリアス州2部リーグに属するチームでプレーをする。 1971年生まれのファンエレは名選手だった。19歳でプロデビューを果たすとヒホン(1991~1994年)、テネリフェ(1994~1999年)、サラゴサ(1999~2004年)に在籍し、1994年ワールドカップはスペイン代表の一員として参加した。12シーズンリーガ1部でプレーし、346試合出場61得点、スペイン代表では5試合2得点を記録している。輝かしい実績を持つフォワードだ。 そんな彼だったが、現役引退後に人生は暗転してしまう。病気が彼の人生をめちゃくちゃにした。2007年に現役引退したファンエレはうつ病に冒されてしまう。うつ病により日常生活を送る能力がなくなった。37歳には薬物の過剰摂取により病院に搬送された。2011年には裁判所の召喚に応じず刑務所にも収容された。離婚した妻の車を壊したという暴力行為の罪に問われたのだ。 引退後に文字どおり波乱万丈の人生を送ってきたファンエレはうつ病が快方に向かうと、改めてフットボールをプレーをすることを決心した。なぜもう1度フットボールをプレーしようと思ったのか。その動機を地元紙『エル・パイス』でこう語っている。 「フットボールをプレーしていた時は幸せだった。人生の中で最も好きなことがフットボールをプレーすることだった。12シーズン最もレベルの高いところでプレーをして、コパ・デル・レイを2度勝ち取ったし、1994年のアメリカのワールドカップにも参加した。今はシエロでプレーできる。プレーできたら幼少期のように、最初のようにフットボールで私は幸せに感じるだろう。なぜなら幼少期は私の人生で最も幸せな時期だったからだ」 人生で最も幸せな時期を取り戻したい。そのためにファンエレは現役復帰を決心した。

PKが苦手なシメオネのアトレティコ・マドリード

長所もあれば、短所もある。昨シーズンのリーガ覇者アトレティコ・マドリードはセットプレーが得意だ。ディエゴ・シメオネ監督が率いるチームはコーナー、フリーキックなどの戦略が整理されており、苦しいゲームでもセットプレーからのヘディング1発で勝負を決め、勝点をものにする。スペイン代表でシャビ・エルナンデスの後釜として期待されるコケは優秀なキッカーだ。その彼の正確なプレスキックにミランダ、ゴディン、ティアゴといった選手が頭で合わせて決定的なゴールを奪うシーンをここ最近は何度も目にしている。セットプレーがアトレティコの長所だ。 もちろんそんな彼らにも短所がある。それはPKだ。シメオネが率いるチームはPKが得意ではない。ここ2シーズンの公式戦でのPK14本のうち、実に6本も外している。43パーセントの確率で失敗しているのだ。PKをよく失敗していたのは今はチェルシーに所属するスペイン代表のジエゴ・コスタだ。彼は昨シーズンだけで10本のPKのうち4本を外している。昨シーズンは12本のPKのうちジエゴ・コスタが4本、ビジャが1本ずつ外していた。 今シーズンはそのふたりが退団し、当然ながらPKキッカーも変わった。しかし、成功率は変わっていない。9月27日のセビージャ戦でのPKはラウール・ガルシアが成功させたが、10月4日に行われたバレンシア戦ではシケイラが外した。今シーズン、アトレティコはまだ2本しか公式戦ではPKを手にしていないが、すでにPKを1度ミスしている。確率は50パーセントだ。 シケイラはコルドバでプレーしていた時は12本のPKを蹴り、失敗は1本だけだった。それが今シーズンはアトレティコの選手になってからは2度のPKを手にし、1度も決めることができないでいる。シメオネは次からはマンジュキッチがPKのキッカーとなる、とコメントしている。2人はバレンシア戦のPKの場面でもどちらがキッカーとなるか、口論していたが、結果を残せていない者が立ち去らなければならなくなった。 果たしてマンジュキッチはPKが苦手なシメオネ率いるアトレティコの救世主となれるのだろうか。

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