革命を起こした監督とゲームメーカーの絆

2月1日、スペインが深い悲しみに覆われた。元スペイン代表監督のルイス・アラゴネスが同日6時15分に死去した。75歳だった。2月1日、2日に行われたリーガでは、全試合でルイス・アラゴネスに向けて黙祷が捧げられた。トップカテゴリーだけではない。育成年代でも試合前に黙祷が行われたと地元メディアは伝えていた。また、ルイス・アラゴネスの生涯のクラブであったアトレティコ・マドリードのゲームでは追悼セレモニーが行われた。  

“賢人”というニックネームを持つルイス・アラゴネスは、スペインサッカーを語る上で欠かせない人物だ。現役時代はフォワード、攻撃的ミッドフィルダーとしてオビエド、ベティス、アトレティコ・マドリードで活躍。1部で360試合プレーし、179勝82分99敗、160得点を記録している。アトレティコ・マドリー在籍時には265試合123得点を記録。3度のリーガ制覇と2度のカップ制覇を果たし、1969-1970シーズンには得点王に輝いた。また、スペイン代表としても11試合に出場し、7勝4分3得点を記録した。1974年に現役を引退し、すぐさまアトレティコ・マドリードの監督に就任。1974年から1980年、1982年から1987年、1991年から1993年、2001年から2003年と、実に4回アトレティコ・マドリードの監督を務めた。監督としても1976-1977シーズンにリーガ制覇を果たしている。バレンシア、ベティス、バルセロナ、エスパニョールなどの監督を務め、実に1部で757試合に監督としてベンチに座った。これはリーガの歴史上、監督として最多試合記録だ。ちなみに、2位はハビエル・イエルタで612試合。リーガでは757試合344勝180分223敗という戦績を残している。  

2004年欧州選手権後に、スペイン代表監督に就任。2006年ワールドカップ、2008年欧州選手権で代表チームを指揮。ラウール・ゴンザレスをメンバーから外すなど国内では何度も物議を醸し出したが、2008年欧州選手権で44年ぶりに代表チームにタイトルをもたらした。ルイス・アラゴネスは2008年に欧州選手権でシャビ・エルナンデスを中心にしたボールポゼッションを高めるサッカーを志向し、スペインの中盤にいるタレントを活かし、見事大会を制覇。晩年は2010年ワールドカップ、2012年欧州選手権を制覇した代表チームの現在のプレースタイルを生み出した“父”として人々に認識されていた。  

シャビ・エルナンデスはスペイン国内で最も読まれている日刊紙『エル・パイス』を通してルイス・アラゴネスへ別れの手紙を送った。長い手紙の中でシャビはこんなことを話している。

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ルイス・アラゴネスは自分のキャリア、そしてスペイン代表の歴史において重要な存在だった。彼がいなければ、同じことを達成するのは不可能だった。ルイス・アラゴネスと共にすべてが始まった。イニエスタ、カソルラ、セスク、シルバ、ビジといった小さな選手たちの集まりでもボールに情熱を注ぎ、いいプレーをすれば勝利できることを全世界に実証し、革命を起こした。デルボスケというもうひとりの偉大で重要な人物がやって来たが、欧州選手権を優勝していなければ、ワールドカップも勝てなかっただろう。

自尊心がボロボロだった時に、彼は自分が重要だと感じさせてくれた。「ピッチで指揮をするのは君だ。」「批判があれば私が受ける。」と自分に全幅の信頼を寄せ、代表の指揮を任せてくれた。

辞書の「サッカー」という単語の横にはルイスの写真を載せるべきだ。ルイスはサッカーそのもの。サッカーに人生をかけた男だ。

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シャビはルイス・アラゴネスが亡くなった日、16時からカンプ・ノウにバレンシアを迎えていた。試合前に電光掲示板にはルイス・アラゴネスの顔写真が映され、黙祷が捧げられた。センターサークルで仲間と肩を組むシャビは涙を目に溜めていた。

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