一対のミイラの正体は・・・?ミイラ検証。結果はいかに?(2)

「サン・プラシド修道院のリフォーム工事で発見されたミイラはベラスケスのものではないか?」という仮説が立ち、その正否を確かめるべく検証が行われた。(※関連記事:ベラスケスシリーズ4)

第2の検証はミイラの”指紋“をとって、ベラスケスの「ブレダの開城」という絵画の表面に残されている既存の指紋と比較するというプランだったが、ミイラからは、比較に使えるほど明確な指紋がとれないことが判明。この検査も失敗に終わった。

残されたのは、“遺伝子検査”。意外な人物の名が、ベラスケスの末裔として候補に挙がった。それは、アストゥリアス公、ドン・フェリペ・デ・ボルボン。『Madrid oculto』(書籍)によると、アストゥリアス公は母親であるソフィア王妃から、ベラスケスの血筋を引いているとのこと。にわかには信じ難いが、この事は全国紙『ABC新聞』でも何度か掲載されている。しかし、残念ながらこの検査は実行に移される前にポシャってしまった。「あまりにも長い時間が二人を隔てているため、血縁関係を証明するのは不可能」と、みなされたのだった。
調査は行き詰まり、「今はなんとも言えない。科学が進歩すれば将来は証明できるかもしれない。」という差し当たりの結論を出して、調査班は解散となってしまった。

しかし、私は真相が明らかになる日が近い将来くることを確信している。その間は、まだ画家の地位が確立しておらず、手作業をする画家があたかも卑しい者のような扱いを受けることも珍しくなかった17世紀のスペインを生き、その既成概念と静かに戦い、やんごとなき地位を勝ち取った彼が、自分の末裔がこの国の王子にまでなった事を知る事ができたらどんなに仰天することか、と私は時々考えてほくそ笑んでいる。

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