「我は水の上に築かれた。我が壁は炎なり。」

マドリッドへ訪れた人が必ず立ち寄る観光スポットの一つに、「ボレティン」というレストランがある。ここはヘミングウェイが頻繁に食事をし、スペイン画壇の巨匠ゴヤが皿洗いとして働いていた、という歴史の古いレストランである。そのすぐ側、マヨール広場の反対方向に数十メートル行ったところにあるプエルタ・セラーダ広場には、このような建物がある(写真左/左奥の建物の壁)。淡い藤色のベースに、下部に水面、中央に岩と思しきものが描かれており、上部には次のフレーズが白抜きで記されている:

Fui sobre agua edificada, mis muros de fuego son.
(我は水の上に築かれた。我が壁は炎である。)

私は度々この建物の前を通る。私には商店とレストランが雑居した街のど真ん中にあって、広告でもアートでもない壁絵が奇妙で、なによりこのフレーズがはなはだ訝しかった。「上は洪水、下は大火事。これなんだ?」という子供の頃に聞いたなぞなぞが頭をかすめた。きっと、これもなぞなぞに違いない。とすると、水の上にあって炎に囲まれたものって一体?・・・。

なぞなぞの答えがわからないまま月日は流れ、人の勧めで入ったレストラン「エル・マドローニョ」で意外な発見があった。カウンターの後ろのタイルに「マドリッドの紋章の歴史」という表題と8つの紋章が描かれている(写真中央)。そこで、マドリッド最古の紋章は、下部に水面、中央に黒く光沢のある石がモチーフとして表されている図柄である事を知った。同伴していた地質学者である夫に、この黒い鉱物は火打石だと言われ、「スタイルは違うけれど、“例の壁絵”は、このマドリッド最古の紋章を表現したものに違いない」と私は直感した。

Fui sobre agua edificada, mis muros de fuego son. (我は水の上に築かれた。我が壁は炎である。)

Fui sobre agua edificada, mis muros de fuego son.
(我は水の上に築かれた。我が壁は炎である。)

壁絵は確かにマドリッド最古の紋章を表したものだった。歴史の本を読んで以下の事がわかった。

① マドリッド最古の紋章は、水面に火打石、二つのハンマーがその火打石を叩いていて、そこから火の粉が散っているという構成で、画面下のスクロールには「我は水の上に築かれた。我が壁は炎なり。」のモットーが書かれていた。

② スペイン語には「アル・カサル」(宮殿)「アスール」(青色)等アラビア語起源の言葉が多くある。「マドリッド」もその一つで、元来「アル・マジュリート」という「水の源」を意味するアラビア語の言葉が「マジュリト」、「マドリッド」と変化していった。そして紋章の「我は水の上に築かれた」の句は、地下水の豊富な場所に街は築かれたのだという史実を喚起している。ちなみにアラブ人によって敷設された地下水を運ぶシステムは「viaje de agua」と呼ばれ、19世紀までこの街の人々に利用されていた。

③ 「我が壁は炎なり」の句は、昔この街の城壁が火打石で出来ていて、街を包囲した敵が矢を放ち、金属の矢尻が城壁に直撃すると、そこから火花が散って、それはそれは幻想的な光景だった、という事を回想している。

つまり、「我は水の上に~」のなぞなぞの答えは「マドリッド」だったのだ。城壁から煌々と輝きながら飛び散る火の粉が敵軍の眼にどのように映っただろうか、と想像して私はうっとりした。誰があの壁絵を描いたのかはわからない。しかし「人々にマドリッドの歴史を発見させる足がかりになるように」という意図があったのではないだろうかと思う。私はその目論見にはまったおかげで、マドリッドの歴史に前より少し詳しくなった。

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