1999年、ラミレス広場の地下駐車場建設工事現場で遺物が発見され、工事が頓挫。専門家が召集され、本格的な遺跡発掘が開始した。専門家らは意気込んで調査に当たった。というのは、この広場は以前「ベラスケスの遺体」が収められていたサン・フアン・バウティスタ教会があったとされる場所で、ベラスケスの骸は今もこの広場地下のどこかに埋まっているものと目されてきたのだ。「世紀の大発見」などと新聞に踊るヘッドラインを心に思い描いて、関係者一同、期待に胸を膨らませていたに違いない。それに所在が判然としなかった遺体を発見できれば、然るべき方法で彼のみ霊を祀る事ができる。
ところが、「ベラスケスの遺体」らしきものは出てこなかった。そこで、その場に居合わせた関係者の一人が思い出したのは、①数年前、市内のサン・プラシド修道院のリフォーム中、17世紀のものと思しい“一対のミイラ”が発見されたこと、②ミイラの身につけていた衣装は、ベラスケスが埋葬時に身につけていたものと似ていたこと、③19世紀初頭にスペイン王だったジョセフ・ボナパルトが伝染病を懸念して、市内に埋葬されていた遺体全てを郊外へ埋葬しなおすことを命じたたこと、そして、④この勅令には、「遺体が著名な人物のものである場合、市内の教会等にその遺体を安置すべし」と但し書きがあったこと、だった。
そこで次のような仮説が立った。
「このミイラは”ベラスケスと彼の妻“のもの。ジョセフ・ボナパルトが伝染病を懸念して、市内に埋葬されていた遺体を郊外へ移転した際に、ベラスケスと彼の妻の棺は郊外でなく市内の寺院に移転になった。その移転先がサン・プラシド修道院であった」というものだった。
ミイラは詳しい検査のため市内の大学へ送られた。
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