プロスポーツ選手には、怪我がつきものと理解しながらも、「もし負傷さえなければ」と思わず嘆いてしまう時がある。ビジャレアルのゴールキーパー、セルヒオ・アセンホは運がない。もといプロフェッショナルとしてリーガ1部に舞台に立っているのだろうから彼に運がない、とは決して言えない。なぜなら、何百万人が望む職業になれたのだから。とはいえ、U-17からU-19、U-21と各年代の代表に選出され、フル代表にも上り詰めた才能豊かな彼に「もし負傷さえなければ」今頃、どんなゴールキーパーになっていただろうか。そう考えるともっと偉大なゴールキーパーを目にできていたのではないか、という悔しさも相まって少なからず胸は痛い。
セルヒオ・アセンホは、2月26日のレアル・マドリード戦で“またも”十字靭帯を断裂した。27歳のゴールキーパーが重傷を負うのは、キャリアを通じてこれで4度目だ。
18歳でバジャドリードの選手として、リーガ1部デビューした将来有望な若者は、アトレティコ・マドリードに入団した1シーズン目、2010年5月8日に右膝を負傷した。翌シーズンの冬にマラガにレンタル移籍したが、2011年2月5日セビージャ戦で右膝を負傷し、またも戦列を6カ月間離れた。アトレティコ・マドリードに復帰した2011-2012シーズンはクルトワが正ゴールキーパーとして絶対的な地位を築いており、シーズンを通じて5試合しか出場機会がなかった。翌シーズンも控えのゴールキーパーの立ち位置は変わらず、ヨーロッパリーグを中心にプレーし、10試合8失点という戦績を残した。アトレティコ・マドリードは夏にセルヒオ・アセンホを売りに出し、買い取りオプション付きでビジャレアルへのレンタル移籍が2013年7月24日に決まった。
セルヒオ・アセンホは、ビジャレアルで継続的な出場機会を手にし、スタメンの座を不動のものにしていた。2013-2014シーズンはリーガで35試合にプレー。クラブはセルヒオ・アセンホを買い取るのは当然だった。翌シーズンもレギュラーとして34試合プレーしていたが、2015年4月29日に3度目の右膝を負傷してしまった。9カ月後に復帰したが、昨シーズンはリーガ4試合の出場だけに留まった。今シーズンは開幕からスタメンとして出場し、リーガでは全試合フル出場を果たした。また負傷する24節まで15失点と、1試合の平均失点数が最も低いゴールキーパーに贈られるサモラ賞に向けて邁進していた。彼のキャリアにとって、疑いなく最高の時間を過ごしていた。
しかし、また膝が壊れた。今度は左だった。
3月6日、手術を終え自宅に戻ったゴールキーパーのインタビューが『マルカ』紙に掲載されていた。
「あなたは不運ですか?」という質問に「いいや、選手たちは怪我は覚悟の上だ。とはいえ僕のケースで言えば、数年間で4度もこの負傷をするのは理解できない。だけど、これが僕のキャリアだし、僕は3回の負傷を克服してここにいるんだ」と話した。
「何度自問しましたか。『これら全ての怪我が起こっていなければ?』って」と訊ねられると「何度も考えた。だけど僕よりも僕の家族や友だちが、何度も考えていた。僕が代表に招集され、18歳から1部プレーしていることを彼らは記憶している。だけど、この怪我の経験がなければ、今ここにいるゴールキーパーはいかなかった。自分に起こったことからポジティブなことを全て吸収している。今までの経験を乗り越えてきたのが僕だし、成熟するんだ」と返した。彼はすでに切り替えている。4度目の怪我はセルヒオ・アセンホに何を与えるのか。来シーズン、ビジャレアルのゴールキーパーは手にしたものを今までの3度の復帰と同じようにピッチで示すはずだ。