フットボール選手が現役引退後、全くフットボールとは関係ない職業につくことは稀だ。選手から下部組織などの指導者に転身する人は多く、メディアへの解説者も多い。現役時代に多くの収入を得たので、レストランやカフェの共同経営者となる人もいる。
その一方で、フットボールとは全く関係のない第2の人生を歩む選手たちもいる。たとえば、メンディエタがそうだ。元スペイン代表でバレンシアやバルセロナで活躍したメンディエタは、現在イギリスに住み、ロンドンのクラブなどでディスク・ジョッキーをしている。
フットボール選手の思いがけない転身。ボルハ・クリアドもそんなひとりだ。
クリアドは2002年12月1日に行われたアラベス戦で当時ラファ・ベニテスが指揮していたバレンシアの選手として1部リーグデビュー。ポジションはスピードを武器するサイドアタッカーだった。20歳のクリアドは、そのシーズンにデビュー戦を含めて4試合に出場したが、翌シーズンは下部組織のBチームでプレーすることになった。そして、2004-2005シーズンには、出身地バルセロナのエスパニョールBへ移籍した。うまくステップアップできなかったクリアドは、エスパニョールでアキレス腱断裂という重傷を負い、6か月間プレーできなかった。復帰後も怪我の影響もあり、スピードを出せず、プレーが以前のレベルに戻ることはなかった。
クリアドはその後、2部のムルシアで1シーズン在籍し15試合出場したが、結果を残せず、2007-2008シーズンにグラナダ74へ移籍した。2007年2月にドーピング検査に引っかかり、2008年1月に2年間の出場停止が言い渡される。フィナステリドという養毛剤に入っていた物質が引っかかったのだ。フィナステリドは筋肉増強剤の使用を隠す効果があるためドーピング剤として認定されていたが、分析技術が上がり、2009年からより禁止リストから外されている。クリアドは薄毛を防ぐためであり、筋肉を増強を隠すためには使ったわけではなかった。
出場停止処分が解けた後、クリアドはこれ以上フットボールをプレーしないことを決意。友だちとの遊びはもちろん、テレビ観戦もしないことに決めた。フットボールの腐敗から遠ざかりたく、彼は全てを断ち切りたかったのだ。当時27歳だった彼は、プロフェショナルとしてプレーをし、試合の買収や高額な報酬により、人生が狂う選手たちの姿を見てきた。そんなフットボールにすっかり嫌気がさしてしまったのだ。地元紙のインタビューでそうコメントしている。
現役引退後、彼は父親と同じ公証人になろうと勉強を始める。毎日12時間勉強し、現役を引退してから5年半で晴れて公証人となれた。公証人とは、契約など法律に基づいた適正であるかを証明、認証する職業(公務員)だ。試験は不定期に行われ、難易度も高い。900人以上が試験を受け、合格したのはクリアドを含め90人だった。
このようにフットボールの世界にどっぷり浸かっていたからこそ嫌いになり、大きく人生が変わることもある。