Rマドリードが認めた才能はいつしか降格請負人に

ワールドカップ・アジア最終予選で日本と対戦したヨルダン。そのヨルダンに、かつてレアル・マドリードの下部組織に所属していた選手がいた。昨年の6月18日に行われた埼玉スタジアムでの試合で18番をつけて先発出場していたヨルダンのストライカー、バワブだ。現在ルーマニアのクラブでプレーするバワブは、ヨルダンの首都アンマンで生まれた。彼の両親はバワブが生まれてすぐにスペインのカタルーニャ州に移住。幼少の頃、バワブは素晴らしいボール扱いで際立っていた。地元のUEコルネージャに入団するとそのタレントはさらに開花。下部組織の最後のシーズンとなるユースカテゴリーのリーグ戦で30得点を記録し、18歳になるとレアル・マドリードと契約を結んだ。また、そのプレースタイルはジダンと比較され、当時レアル・マドリードのトップチームの監督だったマリアーノ・ガルシア・レモンも彼を讃えていた。  

バワブは、2004-2005シーズンからレアル・マドリードCで、2006-2007シーズンからはレアル・マドリードBに所属してプレーしていたが、結果を残せぬまま半年でバルセロナBへ移籍。バルセロナBでは13試合で3得点しか決めることができず、チームもカテゴリーをひとつ下に落とした。2007-2008シーズンからは同じバルセロナにあるホスピタレに移籍し、27試合で2得点を記録。そのシーズン、ホスピタレはカテゴリーを落とした。翌シーズン、リオハのセグンダB(2部B)で戦うアルファロに移籍したパワブは14試合3得点を記録するが、ここでもチームはテルセラ(3部)に降格。翌シーズンにムルシア州にあるセグンダB(2部B)のモラターリャに移籍したが28試合で3得点と奮わず、チームはテルセラ(3部)への降格が決まった。  

4シーズン中、パワブが所属したチームはシーズン終了時には全てカテゴリーを落としていた。若い時にそのタレントを絶賛された選手は、いつしか降格を招く不運を呼ぶ選手となってしまった。  

バワブは2010年にスペインから離れ、ルーマニア1部のクラブのトライアウトに合格。入団したAFCグロリア・ビストリツァは彼が入団したシーズンに降格してしまう。しかし、パワブは入団して半年で同じルーマニア1部のガズ・メタン・メディアスに移籍しており、彼に責任はなかった。現在は所属するチームに降格の危険はなく、パワブは10番をつけてプレーしている。またヨルダン代表としてもチームを牽引。惜しくもワールドカップ出場権獲得はならなかったが、ウルグアイとプレーオフを戦い、最後まで出場権を争った。  

若くしてレアル・マドリードにそのタレントを認められたが、いつしか降格請負人となってしまう。フットボーラーの人生も様々だ。

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