バレンシア 15歳のSBはライバルチームの名手の甥

10月8日にバレンシア州の地中海沿いの街、ブルジャストというチームとバレンシアは親善試合を行った。同チームの創立100周年を祝う記念試合だ。バネガら代表選手はインターナショナルマッチウィークのため不在だったが、バレンシアはトップチームのメンバーで前半を戦い、後半はほとんど全ての選手がカンテラだった。ミロスラフ・ジュキッチ監督は、このゲームで普段はバレンシアのユースに所属する15歳の左サイドバックを起用した。

トニ・ラトーリャ。周りから“ラト”と呼ばれる若者は、親善試合とはいえ、15歳でトップチームのゲームに出場。バレンシアで最も若くトップチームの公式戦に出場した選手は、1993-1994シーズンにディエゴ・リベラで16歳だった。ラトはもしかしたらその最年少記録を塗る替えるのかもしれないと期待されている(ただ、ディエゴ・リベラはバレンシアの下部組織で合計100得点以上奪うフォワードだったが、その後18歳、20歳以下のスペイン代表に選出されたがフル代表召集歴もなく、その後目立った活躍はしていない。つまり早熟だった)。  

そんなラトの叔父は、今日までレバンテで最も多くのゲームに出場した選手で同クラブのレジェンドと讃えられる、ビセンテ・ラトーリャだ。二人に通っている血は同じようだ。叔父は左利きで名手だったが、甥のラトもレフティーだ。  

違うのは2人が所属するクラブの色だけ。ビセンテは心からレバンテを愛している。一方のラトはバレンシアに所属している。家族内でバレンシア・ダービーが起きているのだ。  

叔父のビセンテはこう地元紙に語っている。「(互いの愛するチームが違うことで)とても健全な衝突はありますよ。甥(の活躍)についてはとても喜ばしいし、特に彼のインテリジェンスあるプレーを誇りに思っている」  また甥にはこう語っていると言う。「彼にはフットボールはスポーツだと言っている。プロフェッショナルになれれば、それはとても美しい。だけど今はまだ、彼にとってはスポーツだ。夢を信じることで、彼はプロフェッショナルになることを夢見ている。なぜならその技術の高さはあるからね」  

ラトはこう語っている。「叔父のプレーは写真やビデオでみたことがある。素晴らしい選手で、すごくいいシュートを持っていた。さらに僕のように左利きだ。毎週末はよく一緒に過ごしている。バレンシアが勝った時は僕は嬉しいけどね」  

名手の血が通うラトは、将来プロフェッショナルとなれるだろうか。叔父のような名手へとキャリアを築けるだろうか。何よりも、甥がもしメスタージャでプロフェッショナルとしてプレーすることになった時、叔父は甥が招待するメスタージャのゲームに観戦に来るのだろうか。

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