「棹立ちの馬と、それに跨る騎手のブロンズ像がどのようにしたら倒れずに立っていられるか?」
ガリレオは、この問題を像の大半の重さを塊状の後身に集中させて、それをカウンターウェイトとして作用させることで解決した。これは当時革新的なことだった。なぜなら、それまでのブロンズ像はみな空洞だったからだ。そして、この8トンの巨大な像のバランスをとるために重さの分配は精密に計算されてなければならず、ここに数学の高度な知識が必要だったのだ。
1638年、イタリア人彫刻家のタッカは、ガリレオの算出した数値を基に現物大のエチュードを作成した。習作は素晴らしい出来だったが、騎手の顔がフェリペ4世のものに似ていなかった。そこでベラスケスは彼の友人で彫刻家のフアン・マルティネス・モンタニェスを王に推薦。
モンタニェスはマドリッドに着くと、習作の頭を切り取って、それを大きさの目安にし、仕事に取り掛かった。ベラスケスは6ヶ月にわたるプロセスを細心をはらって追った。この時のモンタニェスの姿を描いた作品が、プラド美術館にある。新しい頭が完成すると、カンポ・デル・モロ庭園に深さ3mの穴が掘られ、溶解作業が行われた。像は27日間冷やされ、穴から取り出され、 磨かれ、ニスがかけられ完成に至った。
このようにして、この壮観な騎馬像は4人の名士の共同作業によって完成した。着想はベラスケス、頭部デザインはモンタニェス、首から下のデザインはピエトロ・タッカ、そして、この巨大な像をバランスよく建てるために傾きを計算したのが、ガリレオ・ガリレイだった。ベラスケスとフェリペ4世は完成した像の偉大さに圧倒された。出来栄えは君主の期待を大きく上回るものだったそうだ。