「アントニオ・プエルタ」という名の通りが生まれる

2007-2008シーズンの開幕戦。2007年8月27日に行われたセビージャ対ヘタフェ戦でピッチで突然意識を失い、倒れ、そして1度は意識を取り戻したがロッカールームで倒れ、そのまま病院に搬送されたが、翌日に帰らぬ人となってしまったアントニオ・プエルタ。スペイン代表に選出されるなどその将来を有望視されていた22歳の若きディフェンダーの突然の死去は、スペインのフットボールに大きな悲しみをもたらした。  

プエルタは2006-2007シーズンのUEFAカップ制覇に貢献。彼が準決勝でドイツのシャルケ相手に決め、チームを決勝に導いたプエルタの得点を“セビジスタ”(セビージャファン)は誰も忘れてはいない。セビージャのホームスタジアムでは彼がつけていた背番号にちなみ、16分になると彼の応援歌が歌われている。  

彼のことは誰も忘れていない。セビージャ市内に彼の名前をつけた通りが生まれた。セビージャ市役所は、プエルタが生まれたネルビオン地域からセビージャのホームスタジアム、サンチェス・ピスファンまでの通りが「アントニオ・プエルタ通り」となった。セビージャ市長は自身のツイッターでこうつぶやいている。

「アントニオ・プエルタの記憶がひとつの通りに名となった。彼の生まれた通りだ。16番よ、永遠に」

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