「裸のマハ」は、アルバ公爵夫人?

裸婦をモチーフに描いた「裸のマハ」は当時、敬虔なカトリックだったスペインに衝撃を与え、絵の作者であるゴヤは異端審問に召喚され、弁明を求められた。その法廷で、モデルの身元について詰問されたが、ゴヤは口を割らなかった。

「裸のマハ」のモデルの顔は、ゴヤが王立タペストリー工場でカルトン(タペストリーの下絵)に描いていた大衆の顔と同様に様式化されていて、顔から人物が特定できないようになっている。モデルの顔を類型化することで彼女の素性を隠し、スキャンダルを回避するという目論見があったのだろう。

「マハ」の正体を巡って2つの仮説が立てられた。1つ目は、パトロンとしてゴヤを庇護していたアルバ公爵夫人だという説、2つ目は、ゴドイ首相の愛人だったペピータだとする説である。

第1説のアルバ公爵夫人は生前、スペイン一の有力者だったゴドイ首相の関心を惹くために、王妃マリヤ・ルイサ・デ・パルマと競い、対立し、40歳の若さで夭折した人物である。その死因について、彼女と確執があった王妃が密かに毒殺を命じたのではないかと噂がされていた。

1945年、この毒殺説の真偽を確かめるべく公爵夫人の遺体が掘り起こされ、検死が実践された。その結果、彼女は結核に端を発した髄膜脳炎のために死亡していた事が判明し、毒殺説が否定されたのだった。そして、同時に興味深い事実が、検死に立ち会った医師の所見により明らかになった。それは、アルバ公爵夫人は生前、脊椎側湾症という病気を患っていて、骨盤が右側に傾いていたために、「裸のマハ」のポーズをとる事が解剖学的に不可能だった、という真相だ。

アルバ公爵夫人説が否定されたこの時以来、「ペピータ説」が有力視されている。

ゴドイ首相の愛人だったペピータの肖像画

ゴドイ首相の愛人だったペピータの肖像画

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