Año: 2015

数字で見る偉大なるシャビの業績

シャビが今シーズン限りでバルセロナを退団することを発表した。シャビは1998年に当時のトップチームのオランダ人監督ファン・ハールに起用され、トップチームにデビュー。それから17シーズン、バルセロナで中心選手としてプレー。今シーズンは先発出場機会は減ったが、キャプテンとしてチームをけん引した。2015年最初のゲームでメッシとルイス・エンリケが衝突した時に仲裁に入り、タイトル獲得に向けて、チームを一丸にしたのはシャビだったと地元メディアは振り返っている。 バルセロナで残すゲームは、チャンピオンズリーグ決勝だけ。シャビが出場するかはわからないが、これまでに彼が残してきた数字を追っていきたい。 ・リーガ出場試合数505試合57得点。 ・ヨーロッパカップ戦169試合13得点。 ・国王杯70試合9得点。 ・クラブワールドカップなどその他22試合4得点。   シャビはバルセロナの選手として766試合に出場し、657試合は先発だった。バルセロナのクラブ史上、最も多く公式戦をプレーした選手であり、リーガで322勝とバルセロナで最も勝利を手にした選手でもある。また現時点ではレアル・マドリードのイケル・カシージャスと並び、最もチャンピオンズリーグでプレーした選手となった。シャビは150試合、欧州クラブ最高の舞台でプレーしている。またエスパニョールとの“ダービー”を最も経験した選手で、これまでに30試合プレーした。 獲得したタイトルはリーガ8回、スペインスーパーカップ6回、チャンピオンズリーグ3回、国王杯3回、クラブワールドカップ2回、ヨーロッパ・スーパーカップ2回。バルセロナの選手で最多タイトルを獲得した選手だ。 シャビはさらにスペイン代表で133試合12得点を記録。ワールドカップ、欧州選手権2回と代表チームでも世界王者、欧州王者に輝いている。 ストライカーではないので、ゴールというわかりやすい数字は残せていないが、出場試合数、タイトル数と誰もが目を見張る記録を残している。 2010年、スペインがワールドカップを制覇した時に、選手個人にとって最高の栄誉と位置づけられているバロンドールを勝ち取れなかったのは残念だったが、今のクレ(バルセロナファンの愛称)たちは遠い未来に孫にこう言うだろう。 「メッシがプレーするところも見た。しかも、おじいちゃんはこの眼でシャビもカンプ・ノウで見たんだよ」

【スペイン遠征2015年夏】柏レイソルU-17様 – 記事②

スペイン、マドリード遠征中の柏レイソルU-17の皆様ですが、 スペイン国営放送:http://www.rtve.es/directo/teledeporte/ ※日本からはリージョン規制のため残念ながら視聴不可能とのことです。 以下は、5月25日のオリンピック・マルセイユ戦での写真です。 (結果は残念ながら2-1で敗戦)

【スペイン遠征2015夏】柏レイソルU-17様- 記事①

柏レイソルU-17の皆様が、5月23日(土)から6月2日(火)の日程でスペイン、マドリード遠征中です。本日は、決勝トーナメント進出をかけてオリンピック・マルセイユと対戦です。下記ウェブから試合の模様が確認できますので、みなさま是非あたたかい応援をお願いします! http://www.rtve.es/directo/teledeporte/ キックオフ:スペイン時間17時(日本24時) *下記写真は昨日のレアル戦(結果は0-1で残念ながら敗戦)

シメオネのA.マドリード以上にコーナーから得点を奪ったバレンシア

最終節のアルメリア戦に勝利し、バレンシアはチャンピオンズリーグ予備予選の出場権である4位の座を確保した。常にリードされる苦しいゲームで、バレンシアはピッチでフットボールをすることができなかった。そんな苦しいゲームでチームを2度、同点に導いたのが、セットプレーだった。 1点目は、アルゼンチン代表オタメンディがヘディングで合わせて同点へ。アルゼンチン人センターバックは、今シーズン、ヘディングでの得点が6ゴール目となる。今期バレンシアのセンターバックとしてはシーズン最多得点選手で、今シーズン最もゴールを決めたディフェンダーとなった。2点目は、コーナーのサインプレーからフェグリが決めている。デ・パウルのショートコーナーを受けたガヤがクロスを送り込み、そのボールをハビ・フエゴがサイドで折り返し、最後はアルジェリア人アタッカーが詰めた。 ヌーノ・エスピリト・サント監督が率いるバレンシアは、ディエゴ・シメオネが率いるアトレティコ・マドリードとよく比較される。強度の高いプレー、激しいディフェンスの点からだ。セットプレーもこの2チームの類似点の1つだ。バレンシアは今シーズン、アルメリア戦の2得点を含めて、コーナーキックから13ゴールを奪った。1996-1997シーズンのテネリフェに並び、バレンシアは過去20年の1部リーグで、コーナーからの得点が最も多いチームの1つとなった。シメオネのアトレティコ・マドリードもセットプレーが得意と称されるが、今シーズンはコーナーからは12得点しか奪っておらず、バレンシアに1ゴール足りなかった。 バレンシアは来シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を手にした。果たして、シメオネのアトレティコ・マドリードのように欧州最高峰の舞台でも結果を残せるだろうか。

鉄壁のディフェンスがリーガ王者のストロングポイント

バルセロナがリーガ・エスパニョーラを制覇した。2年ぶり23回目のタイトルとなる。アルゼンチン代表リオネル・メッシを中心にしたチームは、国王杯、チャンピオンズリーグの2つのファイナルを残しており、3冠達成の可能性も高い。 最終節を前にして優勝を決めたバルセロナ。リーガの戦績では、王者にふさわしい数字を残している。 バルセロナは37試合30勝3分4敗、勝ち点93(カンプ・ノウで48、アウェーで45ポイント)を手にした。今シーズンのバルセロナを語る上で欠かせないメッシ、ネイマール、ルイス・スアレスの“トリデンテ”を擁する攻撃では、37試合で108得点を決めた。エースのメッシは41、ネイマールは22、ルイス・スアレスは16ゴールを奪っている。 しかし、攻撃力は、最大のライバルであるレアル・マドリードが、45得点を決めているクリスティアーノ・ロナウドを中心に111得点を決めており、バルセロナを上回っている。 数字は雄弁だ。  ルイス・エンリケが率いるチームの最大の特徴は、ディフェンスの堅さにある。37試合で失点はわずかに19。さらに無失点のゲームは23試合にものぼる。ヴェルマーレン、ドウグラスら全く戦力にならない補強が批判され、シーズン途中でチームを去ったスポーツディレクターのアンドニ・スビサレッタだが、ゴールキーパーに関しては的確な補強をしたと称えられるべきだろう。チリ人とドイツ人が守るゴールマウスを見て、クラブ史上最高のゴールキーパーのビクトル・バルデスを懐かしく思うクレは少なかったはずだ。

【スペイン遠征2015春】SCHフットボールクラブ様

2015年3月31日(火)から4月10日(火)まで、SCHフットボールクラブの選手23名、スタッフ2名がスペイン遠征を行われました。遠征の前半はMIC(地中海国際大会)に参加し、後半はバルセロナで親善試合、ホームステイや観光などをされました。10泊11日の遠征の様子をご紹介します! ■MIC大会参加(3月31日~4月5日) 開幕前日にバルセロナ入りしたSCHフットボールクラブの皆さまは、その日のうちにカタルーニャ北部のヨレット・デ・マールへ移動しました。 ホテルの部屋からの景色!移動の疲れも吹っ飛んだことでしょう。 翌日からは早速予選リーグが始まり、過密日程との戦いになりましたが、同年代で優勝したASPIRE FOOTBALL DREAMSとも対戦することができ、大きな刺激を受けたようです。世界との差を肌で感じたり、通用する部分を発見したり、またピッチの外ではほかのチームとの国際交流を楽しんだりなど、収穫の多い大会になったのではないでしょうか。 ■親善試合・ホームステイ(4月6日~4月10日) 大会終了後はバルセロナ郊外へ移動し、地元チームにお世話になりました。一般家庭での2日間のホームステイを経て、選手たちはこちらの食事や生活リズムにだいぶ慣れたようです。親善試合やクリニックのほか、市内観光やリーガ観戦なども行い、ピッチ内外ともに充実した時間を過ごすことができました。 最終日はカタルーニャ名物料理を食べて、空港へ向かい、無事帰路に着きました。 スペイン遠征での経験を活かし、素晴らしいシーズンを送られますことを願っております。 SCHフットボールクラブの皆様、大変お疲れ様でした!!

ドローゲームのハーフタイムに生まれた“ゴラッソ”

5月2日に行われたスペインリーグ35節アトレティコ・マドリード対アスレティック・ビルバオ戦は0-0のドローに終わった。2つあった決定機(明確なPK判定を含む)が審判に認められず、ディエゴ・シメオネ監督のチームは勝ち点を2ポイント失った。ロス・コルチョネロス(Aマドリードサポーターの愛称)にとっては不満が溜まるスコアレスドローだった。 ゲームではゴールは生まれなかった。しかし、ハーフタイムではまさに“ゴラッソ”と呼ぶにふさわしい得点が生まれていた。スペインの各メディアがこぞって取り上げ、「ほとんど誰も見ていないゴラッソ(見事なゴール)」として紹介されている。 ゴールを決めたのは、友人たちからは“フォンタ”という愛称で呼ばれるアトレティコ・マドリードのサポーターだった。ハーフタイムに行われたビールメーカーが主催するPKゲームで、フォンタはゴールを狙ったが、シュートは惜しくもバーに嫌われた。 圧巻はそれからだった。 大きく宙に浮いたリバウンドをフォンタはゴールに背を向け、オーバーヘッドキックで合わせたのだ。アクロバティックなシュートは見事に決まり、それを見ていたわずかなサポーターは大きな拍手を送った。「キャプテン翼の大空翼のオーバーヘッドのようだ」と紹介するメディアもあった。 肝心のゲームはスコアレスドローに終わったが、ハーフタイムでそのゴラッソを目撃したロス・コルチョネロスはほんの少しは「今日はいいものを見た」と思って帰宅したかもしれない。

【スペイン遠征2015春】FCトリプレッタU-13様

FCトリプレッタU-13の皆様が、3月30日(月)から4月6日(月)の日程でスペイン遠征を実施されました。バルセロナへ滞在後、MIC大会に参加され、スペインのプロ育成クラブやタウンクラブと対戦しました。大会参加が中心でしたが、バルセロナでは市内観光やショッピングも行いました。遠征の様子を写真と共にご紹介致します。 バルセロナ到着後、長旅の疲れを取るため軽いトレーニング MIC大会で対戦した北アイルランド代表戦前 同年代のレアル・マドリードと予選グループで対戦 イスラエルのチームとの対戦で競り合う選手達 MIC大会ユース決勝戦試合前、アトレティコ・マドリード対マラガ 同年代選手との大会での真剣勝負やピッチ内外での様々な経験。この遠征を通して選手達そしてチーム全体のステップアップや強化に繋れば大変嬉しく思います。皆様のご健闘をお祈りしております。 FCトリプレッタU-13の皆様、大変お疲れ様でした!

グアルディオラの5月5日と6日

ペップ・グアルディオラが5月6日に初めてカンプ・ノウのアウェーチームのベンチに座る。チャンピオンズリーグ準決勝ファーストレグは、古巣と対戦する指揮官にとっても、スタンドを埋めるバルセロニスタ、クレにとっても特別な1戦になる。多くの拍手がグアルディオラに惜しみなく送られるはずだ。 グアルディオラがカンプ・ノウの観衆に別れを告げたのは、2012年5月5日のエスパニョール戦だった。このゲームで4得点を決めたメッシは4点目の得点後に、グアルディオラに捧げた。ベンチに駆け寄り、指揮官とエースは抱擁した。 2009年5月6日にはグアルディオラが指揮するバルセロナは、チャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグ・チェルシー戦を戦っていた。スタンフォード・ブリッジでイニエスタはロスタイムに決勝への勝ち抜けを決める起死回生のミドルシュートを決めた。この得点時にグアルディオラは我を忘れて、ベンチから飛び出し、何十メートルも駆けた。これほどの感情を露わにするのは珍しい、と世界中のメディアがその映像を繰り返し流した。 グアルディオラは古巣と対戦する。上記したエスパニョール戦、チェルシー戦にいた選手で元監督が率いるバイエルン・ミュンヘンと戦うのは、ダニエウ・アウヴェス、ピケ、セルヒオ・ブスケツ、シャビ、イニエスタ、ペドロ、そしてメッシだ。彼らはいっしょにクラブ史上最高の時期を過ごした指揮官と対峙した時に何を思うのだろうか。 5月5日と6日には、奇遇にも、グアルディオラには印象的なことが多く起こっている。きっと2015年のその日もカンプ・ノウで人々の記憶に残る出来事が起こるだろう。

スペインを示すエピソード、エイバル監督の会見退席

エイバルのガイスカ・ガリタノ監督が試合後の会見を途中で中断し、引き上げてしまった。エイバルは4月26日に行われたスペインリーグ33節、アウェーでのアルメリア戦で0-2で敗れた。 そのゲーム後に行われた会見で、エイバルの指揮官は最初の2つの質問をバスク語で返答した。その後、アルメリアの地元記者がその返答に不満を漏らすと、ガイスカ・ガリタノは退席してしまった。 ガイスカ・ガリタノは最初に質問した記者がバスク語で話したので、バスク語で返答した。その時にすでにアルメリアの地元記者は不満を言うと、2つ目の質問もまたバスク語で行われ、指揮官は1つ目の返答同様にバスク語で応じた。すると地元記者の一部がまたも不満を示すと、監督はそれを見て退席してしまった。 ガリタノはバスク語を尊重しないアルメリアの記者たちに怒って、退席したのだろう。この出来事はスペインで注目を集めている。スペインではカタルーニャ州がカタロニア語(カタルーニャ語)、バレンシア州がバレンシア語、ガリシア州ではガリシア語、そしバスク州ではバスク語が話される。中には方言ではなく、公式文書、書類でも公用語として認められている。 スペインは各地域によってキャラクターが大きく違い、多様な文化を持つそれぞれの民族が集まり、1つの国として形をなしている。雨が多いガリシア州の人間と、常に太陽があり、温暖な日が続くアンダルシア州の人間のキャラクターは当然ながら違う。それはスペインの魅力の1つでもある。ただ、アルメリアの地元記者たちはその多様な文化を尊重しなかった。 同会見に同席したアルメリアのプレス担当は、1つ目と2つ目の質問の間に不満を言った地元記者に対して、このように語りかけていた。「アルメリアは6シーズンも1部におり、君たちも分かっているはずだ。バルセロナがここに来た時も最初にカタロニア語での質疑があってから、次にスペイン語で話している。もう少しリスペクトしてください。すみません、監督続けてください。」 しかし、プレス担当のこの呼びかけも虚しく、2つ目の質疑の後にも不満があがり、ガイスカ・ガリタノ監督は退席してしまった。 多様な文化があり、そこに誇りを持つ人間がいて、それに対して、その言語を尊重しない人間(またバルセロナのようなビッククラブの前ではそんな不満を示さず、エイバルのような小さいクラブに対しては不満を言う)がいる。スペインという国を示す象徴的な出来事だった。

ラキティッチはテニス選手になりたかった

昨年の全米オープン決勝で、錦織圭と決戦い、グランドスラム初優勝を達成したマリン・チリッチ。4月20日から開催されたバルセロナ・オープンのため、クロアチア人テニスプレーヤーは同街に滞在していた。 4月19日の午前中には、バルセロナのトレーニングセンターを訪ね、同胞のラキティッチと初めての対面を果たした。有名なプロスポーツ選手同士だ。もちろんお互いのことは知っていたが、直接話をするのはこの日が初めてだった。2人は1時間に渡って、会話を楽しんだ。 面白いことに幼少時代に2人はそれぞれサッカーとテニスをしていた。クロアチアのナンバー1スポーツはサッカーだ。マリッチも周りの大半の子どもとテニスをしながらも、同じようにサッカーをしていた。一方、ラキティッチもサッカーをしながら、テニスをしていた。マリン・チリッチは、その後にテニスだけに専念。ラキティッチはテニスが好きで、テニスプレーヤーになることを考えていたが、13歳の時に父親のアドバイスもあり、サッカーだけに専念することになった、というエピソードを同胞に明かした。2人のエリートのアスリートだ。その運動能力を持ってすれば、ラキティッチはテニスプレーヤーに、チリッチはサッカー選手、と今の2人の立場が全く逆でもおかしなかったのかもしれない。 ラキティッチは今シーズン、バルセロナに入団したばかりだが、もうすでに何シーズンもプレーしているかのようにすんなりと適応した。2人のゴールキーパーと共にラキティッチという新戦力も今シーズンのバルセロナの語る上で欠かせない。セビージャからやって来たクロアチア人はインタビューで「メッシがどのようにしてドリブルしているのか、イニエスタがどんな風にパスをしているのか、わからない。僕はいつもイバン・ラキティッチでいなければいけない」と語っている。周りの選手の真似でなく、チームのスタイルに適応させようとするのではなく、自分のプレースタイル、信念を貫くことがラキティッチがバルセロナで成功した秘訣なのかもしれない。

【スペイン遠征2015春】ガンバ大阪U-15様

ガンバ大阪U-15の皆様が、3月31日(火)から4月7日(火)の日程でスペイン遠征を行いました。マドリード地方、そして北部へ移動し、バスク地方での遠征。昨年度も対戦したレアル・ソシエダ、アスレティック・ビルバオといったリーガの名門育成クラブとの再戦が実現しました。遠征の様子を写真と共にご紹介致します。 バジャドリードU-15チームと親善試合。 試合後、1982年スペインW杯時に建築されたホセ・ソリージャスタジアム内部を見せてもらいました。バルデラマやイギータといったコロンビアの英雄がプレーし、城選手もプレーしたクラブとして知られています。 バスク地方ギプスコア県にあるエイバルに移動。人口3万人弱の小さな町にもフットボールが存在していました。山に囲まれた合宿地のようなグランドでトレーニングをおこないました。 大会初戦の相手はサラゴサ。激しい試合を制したのはガンバ大阪。3-2で勝利! 昨年度も対戦したレアル・ソシエダ。今年は大会での真剣勝負で粘り勝ち。1-0で勝利を収めました! 決勝戦で対戦したのは、これまた昨年も対戦したアスレティック・ビルバオ。 緊張感溢れる雰囲気の中で行われた一戦。 両者譲らない互角の緊迫したゲームをした両チーム選手達。ガンバ大阪も多くの決定機を作り出しましたが、結果はAビルバオが試合終了3分前にゴールを決め、それが決勝点に。競争心剥き出しの素晴らしい戦い、両チームにはスタンドからも温かい拍手が送られました。 これまでスペインの育成年代トップクラスのクラブと全く遜色ない試合を続けてきたガンバ大阪の選手達。今年も大会での真剣勝負を通してピッチ内外で多くの『気付き』があったと願っております。チームのご活躍をお祈りしております! ガンバ大阪の皆様、大変お疲れ様でした!

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