バレンシア史上酷い交渉のひとつ、 32億円で買い、 3,8億円売却

名門の凋落は、ストーブリーグでも止まらないようだ。スペインサッカーを代表するクラブのひとつであるバレンシアは2シーズン連続の12位でリーグ戦を終えた。

 強豪の代名詞であった彼らは最近2シーズンは坂道を転げ落ちている。2014年5月にシンガポール人実業家ピーター・リムがクラブを買収すると、2014-2015シーズンはポルトガル人指揮官ヌーノ・エスピリト・サント監督のもと、強固なディフェンスを武器に4位でリーグ戦を終え、チャンピオンズリーグ出場権を獲得した。この時はピーター・リムの改革は成功するように思われたが、よくシーズンの開幕前にヌーノ・エスピリト・サントは、会長のアマデオ・サルボとスポーツディレクターのルフェテと対立し、彼らを追い出した。すると歯車が狂い始めた。全権を手にした指揮官だが、肝心のチームが機能せず、シーズン途中で解任。呼ばれたのはピーター・リムのお友達だったイギリス人のガリー・ネビルだが、全く機能せず。チームは12位でシーズンを終えた。

 そして昨シーズンである。開幕前の夏にスペイン代表パコ・アルカセル、ポルトガル代表アンドレ・ゴメス、ドイツ代表ムスタフィという主軸を3人も売却した。バレンシアニスタは強化されるどころか、弱くなるチームを見るにつけ、シンガポール人資産家へ疑問の目を向け始め、シーズン序盤に疑念は怒りへと変わった。ピーター・リムが1年も姿を見せていないメスタージャでは毎試合「出て行け!!」というコールが定番となった。バレンシニスタの怒りに油を注ぐような、もしくは失望のため息をつきたくなるようなさらにはもうどうでもいいと投げ出したくなるような出来事が、ストーブリーグの間でも起こった。エンソ・ペレスの売却だ。

 アルゼンチン代表ミッドフィルダーは、2015年の冬の移籍市場でバレンシアに加入した。前年のワールドカップで活躍した当時28歳のミッドフィルダーはキャリアで最高の時期を迎えていた。攻守に躍動するアルゼンチン人ミッドフィルダーをバレンシアは2500万ユーロ(約32億円)を払って、ベンフィカから獲得した。この移籍にはピーター・リムの友人であるホルヘ・メンデスが仲介した。バレンシアの中盤にクオリティをもたらしてくれるであろうと大いに期待され、メスタージャでの入団会見には実に8,000人が集まり、彼はデビュー戦のレアル・マドリード戦ですばらしいパフォーマンスを見せた。しかし、それがエンソ・ペレスが最も輝いた時期だった。そのシーズンはリーガ14試合出場し、1,034分プレーし、イエロカード7枚。2015-2016シーズンは、リーグ20試合1,264分プレーし、イエローカード10枚。2016-2017シーズンは27試合2,197分プレーし、イエローカード14枚にレッドカード1枚。2年半の在籍でリーガでは無得点2アシスト。皆が期待するような戦績もパフォーマンスも残せなかった。

 マルセリーノ・ガルシア・トラルが新シーズンから率いるバレンシアは監督の意向により、ロッカールームを整理しており、アルゼンチン人ミッドフィルダーは売却する選手となった。バレンシアはリーベル・プレートと交渉を始め、1000万ユーロ(12,4億円)で交渉を始めたが、金額に大きな隔たりがあった。欧州のクラブでも彼の獲得に手を挙げるところはあったが、エンソ・ペレスは母国への復帰だけを希望した。バレンシアは年度の会計をしなければならず、収支を手にするために6月30日までに売却しなければならないという事情もあり、足元を思いっきり見られた。結果、リーベル・プレートになくなく300万ユーロ(約3,8億円)で売却した。いくらパフォーマンスが悪かったとはいえ、約29億円も損するような案件ではなかった。フロントからもプロフェッショナルがいなくなってしまったのか。バレンシアニスタの嘆きは、ストーブリーグも続いている。

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