20年後も愛される“怪物”ロナウドのゴール

20年前のゴールについて、スペインの各紙がこぞって特集を組んでいる。それほど強烈な印象を残すゴールだった。1996年10月12日、ガリシア州ラ・コルーニャ州サンティアゴ・デ・コンポステーラで行われたゲームで生まれた得点だ。

得点者はロナウド。今をときめくレアル・マドリードのロナウドではなく、当時“フェノメノ(怪物)”と呼ばれ始めていた元ブラジル代表ロナウドだ。1994年、2002年ワールドカップ優勝メンバーであり、2002年同大会では得点王となり、バロンドールを2度受賞したサッカー史に残る偉大なストライカーだ。1996年夏にオランダのPSVアイントホーフェンからスペインのバルセロナに移籍したロナウドは、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。20歳のストライカーは、新天地で次々に得点を決め、当時バルセロナの監督だったボビー・ロブソンが「戦術はロナウド」と語るほどだった。ロナウドは1シーズンで、バルセロナからイタリアのインテルに移籍してしまうが、爆発的なドリブルと得点力を示し、強いインパクトを残した。そんな彼のイメージを決定づけたのが、20年を経た今でもスペインメディアが特集を組むサンティアゴ・デ・コンポステーラ戦でのゴールだ。名曲がいつの時代にも愛されるように、このゴールは数多くの人の頭に記憶された。

ハーフウェイライン近くでボールを奪ったロナウドは、後ろからユニフォームを引っ張るディフェンスとカバーリングに入ったディフェンスを2人抜き去ると、一直線にゴールに向けて加速する。そしてゴールエリアに入ると追いかけてきたディフェンス2人を切り返しで抜き去り、シュートを決めた。

スペイン紙『マルカ』は12秒の間に14タッチで生まれたこの得点を、それぞれの証言で振り返っている。

審判だったビクトル・エスキーナ・トーレス氏は「このプレーは、とても現実のもとして感じている。プレーを続行させた。だけど、何度かファウルの笛を吹こうとした。少なくとも吹かなくてよかった」と語り、ボビー・ロブソン監督は「多く旅行をしたとしても、このゴールは世界のどこでも見れるものじゃない」と話した。

最初にボールを競り合っていたコンポステーラのチバ・サイドは「最初に転んだのは僕で、馬鹿な面をしていた」と話せば、追いかけたホセ・ラモン・ゴンサレスは「奪おうとしたけど、彼を前にできることは少なかった」と言い、カバーリングに入ったディフェンスのハビエル・ベリードは「次に奪えると思ったけど、何もできなかった」と振り返る。後方にいたウィリアムは「遠くにいたけど、来る、来る、と思っていたら先を行かれていた」と脱帽し、ゴールキーパーのフェルナンド・ペラルタは「僕だけはドリブルで抜かれなかった」というコメントを残している。

ロナウドがその後、フットボール史に残るレジェンドになったこともあるが、20年経っても、愛され続ける得点があり、そしてこうやってメディアが特集を組むことで、その当時生まれていなかった世代にもそのゴールの偉大さが継承されていく。その様子にスペインの人とフットボールの紡がれる歴史が見て取れる

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