Mes: enero 2015

快進撃の主役はモウリーニョの“操り人形”と揶揄された男

ジョゼ・モウリーニョ監督がレアル・マドリードを率いていた2010-2011シーズンから2012-2013シーズンの間、“スペシャル・ワン”の横に座る第2監督を務めていたのが、アイトール・カランカだった。バスク出身のカランカは、元スペイン代表でアスレティック・ビルバオ、そしてレアル・マドリードでプレー。1997-1998シーズンのチャンピオンズリーグ優勝メンバーのひとりで、クラブに栄光をもたらした名ディフェンダーだった。 カランカはエキセントリックで時にはメディアを敵に回したジョゼ・モウリーニョに代わって、何度も記者会見に出席。指揮官の言われたままに記者会見に出るカランカをスペインメディアが“操り人形”と揶揄することもあった。モウリーニョがレアル・マドリードを退団し、チェルシーへの移籍を決めるとフィジカルコーチ、ゴールキーパーコーチといった彼のスタッフもそのまま籍を移したが、カランカだけはスペインに取り残されてしまった。そんな彼は飼い主に捨てられた犬と評され、哀れだとインターネット上で笑いのネタにされていた。 すっかりモウリーニョの第2監督というイメージが定着していたカランカだが、そのイメージから脱却しつつある。 カランカは2013年11月からイングランド2部のミドルスブラを監督として率いている。昨シーズンこそ12位で終わったが、シーズン最初から指揮をとる今シーズンは、プレミアリーグ昇格に向けて順調な戦いを見せている。2部では2位につけ、そしてFAカップでは4回戦で現プレミアリーグ王者のマンチェスター・シティに勝利し、カップ戦の醍醐味である下克上を達成している。 カランカは地元紙『エル・パイス』のインタビューでこう語っている。「僕のスタイルはモウリーニョのものか…? 私の監督のスタイルは勝利だ。選手たちがその監督といることを好むのは、監督が毎日何かを選手たちに教えているからだ。そして選手たちは毎試合、監督に何かを与えてくれる。私はそれを達成しているし、これ以上、今のチームに要求するものはない。私は私であり、41年間そうだった。だけど、今まで一緒に仕事をした全ての監督から学んできたことも確かだ。もちろん、モウリーニョからも学んだ。自分がモウリーニョの弟子と人々に呼ばれることは不快ではないし、喜びだ。多分モウリーニョにとってもそうだと思う」 カランカとモウリーニョは今でも連絡をひんぱんに取り合う仲で、マンチェスター・シティ戦を戦う前にはモウリーニョから情報を教えてもらっていた。また反対に、モウリーニョがカップ戦で下のカテゴリーのチームと戦う時はカランカが彼の求めに応じて協力している。またモウリーニョはチェルシーに在籍する3選手を成長させるためにカランカが指揮するミドルスブラにレンタル移籍させており、指導者としてもカランカを信頼している。 カランカは操り人形ではない。モウリーニョにとっては尊敬するひとりの同業者なのだろう。ミドルスブラの快進撃が続けば続くほど、モウリーニョの“操り人形”というイメージは、“監督カランカ”という画に描き変えられていくだろう。

市長の息子がエルチェのトップチームデビュー

15日にコパ・デル・レイ5回戦セカンドレグでバルセロナと対戦したエルチェ。試合の勝敗はすでにファーストレグの90分で5-0とバルセロナが勝利したことで決着はついていた。バルセロナは、バルセロナBの選手を6人連れて行くなど完全にリラックスムード。その様子は試合中のルイス・エンリケ監督を見ればよく分かった。ベンチ後ろに座るピケやラキティッチと冗談を言い合うなど、普段のベンチとは全く様相が違った。アウェーでの第2戦もバルセロナが4-0で完勝したゲームで、エルチェではひとりの選手がトップチームの公式戦デビューを果たしていた。この日の右サイドバックで先発出場を果たしたペラルだ。 背番号36をつけたペラルは、現在エルチェのサテライトチームに所属しており、この日はトップチームの一員としてプレーした。ペラルは、同クラブの本拠地の現女性市長メルセデス・アロンソの息子だ。母親は自身が市長の時に息子が本拠地のフットボールクラブのトップチームの一員としてプレーするとは想像もしていなかっただろう。市長はマルティネス・バレーロを訪れ、自分の夫、そしてペラルの2人の兄弟と貴賓席から息子のデビュー戦を楽しんでいた。 ペラルは1992年3月6日生まれのエルチェ出身だ。彼はキャリアを地元のケルメFCでスタートさせた。アトレティコ・マドリードのスペイン代表フアンフランがキャリアをスタートさせたチームだ。また、このクラブでは現在、バルセロナのラフィーニャ、そしてバイエルン・ミュンヘンにいるチアゴというアルカンタラ兄弟と同じ時期に同じユニフォームに袖を通していた。 エルチェはトップチームの選手や監督だけではなく、クラブの従業員にまで給与の未払いが続いていた。負債を多く抱える地元クラブに対して、メルセデス・アロンソ市長はクラブの運営を心配する声明を出していた。そのコメントには母親として息子を心配するという気持ちも含まれていたのかもしれない。

ジエゴ・アウヴェスは歴代最高のPK職人

バレンシアに所属するブラジル人ゴールキーパー、ジエゴ・アウヴェスが18節セルタ戦でオレジャナのPKをセーブした。ジエゴ・アウヴェスにとって、リーガで14本目のセーブとなった。このセーブ数はここ25シーズンのリーガで最多記録となる。これまでは現役時代にバレンシアで活躍したサンティアゴ・カニサレスが13本で最多だったが、ブラジル人ゴールキーパーがその記録を塗り替えた。実に、42,42パーセントと脅威のPKセーブ率を誇る。 セーブ数で言えば、最近バルセロナを退団したスポーツディレクターのアンドニ・スビサレッタが現役時代に16本のPKをセーブしているが、彼は102本のうち16本しかセーブしておらず、セーブ率は15,68%と圧倒的に低い。 リーグだけでなく、全ての公式戦を含めるのならば、ジエゴ・アウヴェスは37本のPKのうち17本をセーブ。アルメリア在籍時に18本のうち10本、バレンシアでは19本のうち7本をセーブしている。今シーズンはアトレティコ・マドリードとのホームゲームでシケイラのPKをセーブしている。また、これまで公式戦でジエゴ・アウヴェスはメッシ、カヌーテ、クリスティアーノ・ロナウド、ジエゴ・コスタ、ラキティッチと名手のPKをセーブしてきた。 「PKセーブといえば、ジエゴ・アウヴェス」。スペインで彼の名前はそう歴史に名を残すだろう。タイトルをとらなければ、現時点ではPK職人止まりだ。新オーナーがやって来てから、戦力補強に力を入れるバレンシアがもし今後タイトルを獲得し、その時にこのブラジル人がゴールマウスにいたら、彼はカニサレスと同じようにバレンシアのレジェンドとなるだろう。

選手、監督だけではないフットボール

国王杯ベスト16・ファーストレグでレアル・マドリードに完勝したアトレティコ・マドリード。ピッチ脇のテクニカルエリアではゴールの後に、ボールボーイのビブスを着た少年がディエゴ・シメオネ監督に抱きついていた。しかし何を隠そうこのボールボーイは指揮官の息子だった。家族でゴールの喜びを分かち合っていた。得点に親子で熱狂するこのシーンは何度もニュースでも流れていた。 だが、シメオネのもうひとりの息子は全く違った形でメディアに取り上げられている。父親のチームの勝利を自身のツィッターで祝福したが、その投稿内容は冗談が行き過ぎて、ライバルチームを挑発するものになってしまった。すぐさまシメオネの息子、ジャンルカは自身の誤りを認め、謝罪した。 ソーシャルネットワークが発達し、個人がフェイスブックやツィッター、インスタグラムでそれぞれが意見、感想など自由に表明できる時代になった。今までは公にならなかった選手、監督の親族のコメントまで注目されるようになった。もし純粋にひとりの熱狂的なファンで試合の感想をコメントしていても、選手や監督に親しい関係者というだけでメディアに取り上げられ、小さいなことも大きくされてしまう。 ここ数日のメッシのチェルシーの移籍に関する報道もそうだ。移籍の重要な要員としてセスクとメッシのパートナー同士が仲がいいので、それも大きな後押しとなると伝えられた。セスクのパートナーがインスタグラムで「いいね!」をしただけでニュースになる。 便利で、世界中の誰とでも瞬時にコミュニケーションや連絡ができ、近況を共有できるようになったが、注目を集めるフットボール選手の家族や恋人にとっては投稿ひとつも気を抜けない世の中になっている。そのうち、選手や監督だけでなく、その家族にもソーシャルネットワークの利用術といった講習会がシーズン前にクラブから行われるようになるのだろう。