Mes: octubre 2014

カタルーニャ独立主義者であることを表明した元年代別スペイン代表

バルセロナのカンテラ出身のマルク・クロサスという選手がいる。2006-2007シーズンにバルセロナのトップチームでデビューしたが定着はできず…。スコットランドのセルティックに移籍し、その後はロシアに渡り、2012年からメキシコのサントス・ラグナでプレーしている。そんな彼は「スペインのためにプレーするよりも、メキシコのためにプレーしたい」と地元紙『マルカ』のインタビューで明言した。 カタルーニャ州にあるジローナ出身の26歳のマルク・クロサスは言う。 「僕はU-17、U-19、そしてU-21のスペイン代表でプレーし、この時は自分が国家の優秀な選手たちといることが誇りだった。今は、自分の息子はメキシコ人で、自分の根源がスペインよりもメキシコだと感じている。カタルーニャのことを話せば、メキシコと同じくらい、カタルーニャを身近に感じるだろう。今日において『自分はカタルーニャ人だ』と言うけれど、スペイン代表でプレーするよりメキシコ代表でプレーする方を好むよ」 また、マルク・クロサスは自身がカタルーニャ州独立主義者であることを明言した。 「僕の“お隣の国(スペイン)”は大きな国だ。小さい頃からこの感情を持っていた。僕の母国語はカタルーニャ語だったし、いつも自分はカタルーニャ人だと感じていた。僕のパスポートと身分証明書は自分がスペイン人だと言うけど、自分の中にある感情は別だ」 ただ、彼はスペイン代表に何も悪い感情は持っていない。スペイン代表がワールドカップで勝利した時はとても幸せだったと語っている。 「僕の代表(つまり、カタルーニャ代表のこと)がプレーできなければ、スペインが勝って欲しい。僕のことを代表はしていないが、僕の友だちが多くいるから勝って欲しい」   マルク・クロサスはマドリード出身者とカタルーニャ出身者の違いをインタビューでこう語っている。 「スペイン政府は僕らが求め、訴えていることに耳を傾けていない。彼らがもっと聞いていれば、この問題(独立)はなかっただろう。カタルーニャ人は仕事だけを考えて、平日は街にくり出さない。そして週末はできるだけお金を使わないようにする。マドリードは中心街は週のいつでも多くの人であふれている。これがカタルーニャのメンタリティーだ」

バレンシアの左サイドバックが高品質の選手を生産中

ユーロ2016予選・ルクセンブルク戦でバイエルン・ミュンヘンに所属するベルナットが代表デビュー。彼は初めてA代表のシャツを着ただけでなく、ゴールも決めている。ベルナットは今年の夏にバレンシアを退団し、ドイツに職場を移した。そしてバイエルン・ミュンヘンでもすぐに適応。試合に出場し、活躍しているからこそ、今回はデル・ボスケにフル代表に召集された。 ベルナットを失ったバレンシアだが、チームは昨シーズンから全く新しい姿に生まれ変わり、チームは開幕から快進撃を続けている。ベルナットがいた左サイドバックのポジションはガヤだ。1995年生まれの19歳のレフティー。その正確なクロスですっかりレギュラーに定着している。ヌーノ・エスピリト・サント監督の信頼も厚い。 バレンシアは優秀なスペイン人左サイドバックを近年生産し続けている。フル代表で左サイドバックを務めるジョルディ・アルバはバレンシアのカンテラ育ち。バレンシアで活躍し、子供の時に下部組織に所属し、生まれ故郷のバルセロナに買われた。 ジョルディ・アルバが2012年夏にバルセロナに移籍すると、チームはフランス代表のシソコやメキシコ代表のグアルダードを獲得したが、チームが期待するようなパフォーマンスを披露できず、そのポジションをベルナットが手にした。ベルナットはバレンシアで定位置をつかみ、そして2014年夏にドイツに買われた。 ベルナットの穴を誰が埋めるのか。新体制になったバレンシアは25歳のアルゼンチン人オルバンを獲得したが、今のところ出番はない。なぜならガヤがクオリティーの高いプレーでチームの勝利に貢献しているからだ。 ガヤにはすでにレアル・マドリードやバルセロナが興味を示し、バレンシアは2018年まで契約を延長するなど簡単にビッククラブの手に渡らないように備えている。 バレンシアはクラブの方針として、左サイドバックをカンテラで補おうとしているわけではない。それはジョルディ・アルバが、もしくはベルナットがいなくなった後に外国人選手をとり、その穴を埋めようとしていることでわかる。だが、不思議なことに結果的にカンテラ出身のスペイン人選手がそのポジションに定着している。

波乱万丈の元スペイン代表が43歳にして現役復帰を決心した動機

43歳の元スペイン代表がフットボールをもう1度プレーすることを決めた。彼はU.D.シエロというアストゥリアス州2部リーグに属するチームでプレーをする。 1971年生まれのファンエレは名選手だった。19歳でプロデビューを果たすとヒホン(1991~1994年)、テネリフェ(1994~1999年)、サラゴサ(1999~2004年)に在籍し、1994年ワールドカップはスペイン代表の一員として参加した。12シーズンリーガ1部でプレーし、346試合出場61得点、スペイン代表では5試合2得点を記録している。輝かしい実績を持つフォワードだ。 そんな彼だったが、現役引退後に人生は暗転してしまう。病気が彼の人生をめちゃくちゃにした。2007年に現役引退したファンエレはうつ病に冒されてしまう。うつ病により日常生活を送る能力がなくなった。37歳には薬物の過剰摂取により病院に搬送された。2011年には裁判所の召喚に応じず刑務所にも収容された。離婚した妻の車を壊したという暴力行為の罪に問われたのだ。 引退後に文字どおり波乱万丈の人生を送ってきたファンエレはうつ病が快方に向かうと、改めてフットボールをプレーをすることを決心した。なぜもう1度フットボールをプレーしようと思ったのか。その動機を地元紙『エル・パイス』でこう語っている。 「フットボールをプレーしていた時は幸せだった。人生の中で最も好きなことがフットボールをプレーすることだった。12シーズン最もレベルの高いところでプレーをして、コパ・デル・レイを2度勝ち取ったし、1994年のアメリカのワールドカップにも参加した。今はシエロでプレーできる。プレーできたら幼少期のように、最初のようにフットボールで私は幸せに感じるだろう。なぜなら幼少期は私の人生で最も幸せな時期だったからだ」 人生で最も幸せな時期を取り戻したい。そのためにファンエレは現役復帰を決心した。

PKが苦手なシメオネのアトレティコ・マドリード

長所もあれば、短所もある。昨シーズンのリーガ覇者アトレティコ・マドリードはセットプレーが得意だ。ディエゴ・シメオネ監督が率いるチームはコーナー、フリーキックなどの戦略が整理されており、苦しいゲームでもセットプレーからのヘディング1発で勝負を決め、勝点をものにする。スペイン代表でシャビ・エルナンデスの後釜として期待されるコケは優秀なキッカーだ。その彼の正確なプレスキックにミランダ、ゴディン、ティアゴといった選手が頭で合わせて決定的なゴールを奪うシーンをここ最近は何度も目にしている。セットプレーがアトレティコの長所だ。 もちろんそんな彼らにも短所がある。それはPKだ。シメオネが率いるチームはPKが得意ではない。ここ2シーズンの公式戦でのPK14本のうち、実に6本も外している。43パーセントの確率で失敗しているのだ。PKをよく失敗していたのは今はチェルシーに所属するスペイン代表のジエゴ・コスタだ。彼は昨シーズンだけで10本のPKのうち4本を外している。昨シーズンは12本のPKのうちジエゴ・コスタが4本、ビジャが1本ずつ外していた。 今シーズンはそのふたりが退団し、当然ながらPKキッカーも変わった。しかし、成功率は変わっていない。9月27日のセビージャ戦でのPKはラウール・ガルシアが成功させたが、10月4日に行われたバレンシア戦ではシケイラが外した。今シーズン、アトレティコはまだ2本しか公式戦ではPKを手にしていないが、すでにPKを1度ミスしている。確率は50パーセントだ。 シケイラはコルドバでプレーしていた時は12本のPKを蹴り、失敗は1本だけだった。それが今シーズンはアトレティコの選手になってからは2度のPKを手にし、1度も決めることができないでいる。シメオネは次からはマンジュキッチがPKのキッカーとなる、とコメントしている。2人はバレンシア戦のPKの場面でもどちらがキッカーとなるか、口論していたが、結果を残せていない者が立ち去らなければならなくなった。 果たしてマンジュキッチはPKが苦手なシメオネ率いるアトレティコの救世主となれるのだろうか。