コスタ・デ・モルテ(死の海岸)に辿り着いたドイツ人芸術家の人生

1962年、スペイン北西部にあるカメージェ(Camelle)という漁村に、一人のドイツ人がヒッチハイクと徒歩の末辿り着いた。彼は”MAN“(本名Manfred Gnädinger)と村人から呼ばれ、故郷から遠く離れたガリシアの“コスタ・デ・モルテ(死の海岸)”で一人、自らの求める芸術を創造し続けた。

幼少の頃から社会に馴染めずにいたMANは、母国で美術の教師を勤めたものの、結局は母国を捨て、言葉も何も分からないこの地に26歳の若さでやって来た。いつも裸足で肉や魚を食べず、自給自足や村人の助けを受けながら生活し、1993年に生涯を終えるまで作品を作り続けた。

彼が残した数々の作品は、海岸に石(岩)を積み上げた彫刻で、石の角を削り、点(丸)を意識してできている(※写真)。“Museo de alemán(ドイツミュージアム)”とも呼ばれ、ガリシア州の住民には以前から知られていた。しかし、2002年の石油タンカー事故でほぼ全ての石が油にまみれてしまった。

Museo de alemán AKAZAWA
現在、カメージェ村のみが保存予算を組んでいるが、多くの人々が彼の作品のBIC(Ben de Interese Cultural)文化遺産への登録を望んでいる。この登録には過去に却下された経験があるが、彼の作品の芸術的価値が再認識されている今、再び文化遺産登録に向けて本格的な保護方法が必要とされている。

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